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年末の御挨拶 (2014)

通行廃人A妖怪一緒廃人N7現場廃人DD永久見習いライセンス兼永久ソロライセンス首都圏近郊日帰り限定財政他諸々規律崩壊人間力国内最底辺 (発達障害疑惑付帯) でございます。
今年も1年,お疲れさまでございました。今年は,12月26日から 31日,翌・1月1日の朝に至るまで,空前の年の瀬 Live 6days (COUNT DOWN JAPAN '14-'15,はじめてなのに,いきなりの 4日通しを含む) を控えており,とても,年末にキーボードを叩いている余裕などないため,これを書いているのが,12月20日から 21日にかけてという,無駄な準備のよさと,無駄な文章の長さと,例年通りの内容の薄さと偏屈さでもって,ご挨拶申し上げます。


私事では,5年半ぶりに,さいたま新都心 (SA=さいたまスーパーアリーナのすぐそこ) から,部屋が広くて家賃も安い,埼玉が誇る大都会・西大宮に拠点を移しました。単身世帯はほとんどなく,ファミリーと小さいお友達の元気な声が聞こえるこの地で,心機一転・・・たしかに快適で,夏は 37℃,冬は 0℃ という,自然豊かな荒川膝元の趣を存分に感じられる,素敵な部屋となっております (暑くて寒いぞコノヤロー,的なトラップの言い換え)。
通勤距離が 2倍になり,若干増え気味であったウエイトも,再び 52kg 程度に戻ってくるなど,ある意味で病的で,ある意味で健康的な生活となっています。しかし,夏場にかなりの超勤があって,肉体的にも精神的にも,非常に厳しいものがあったことも事実です。かつて,終電など存在しなかった通勤,それどころか,いちいち,そんな時間を意識するまでもなかった程度というに,まさか,引っ越し早々,終電を意識する生活が続くとは思わなかった・・・
そんな中でも,平日もどうにか抜け出し,推し事という名の Live 通いにも余念がなく,仕事と推し事,どっちで疲れているのかわからなくなるような酷使ぶりではありましたが (私基準で),引っ越しの春〜梅雨から,(私基準の) 激務の夏〜秋と,曲がりなりにも乗り切れたことは,それなりに大きい達成感があったと思います。もう,やりたいとは思いませんが・・・その前に,1時間単位の年休を導入せいと,何度言ったら (総務に 4年連続で申し入れ,ことごとく封殺)・・・ ( ;´;゚ё゚;;)
体調面では,県民共済への加入さえも断られる程度に,不調の総合商社となって久しいですが,少なくとも,片頭痛だけでも快方に向かうことを期待したいものです。QOL を下げる疾病やら障害は,たくさんあるものの,命にかかわる病気やケガをしない,無用な事件・事故に巻き込まれないだけ,まだいいのかもしれませんけども・・・
人並み外れて体力が低いこと (体力年齢・70代),障害のレベルに近からず遠からずミスが多いことは,もはや「仕様」として認めるしかないところまできているのですが・・・これ自体が,人生におけるハンディキャップ,負けを認めているようなもので,どのような道に進むにしても,厳しい茨の道を強いられるでしょう。

さて,SNS では,ほとんどが,Live だの NHK だの実況に明け暮れ,さぞ充実した生活を・・・とお思いの方も多いでしょう。ところがどっこい,充実しているのは,生活のほんの一部分だけで,9割方 (いや,それ以上かな),充実とはほど遠い「底辺」であることは,いくら強調してもしすぎることはありません。体力,知力,経済力,人脈力,これらを総合した「人間力」は,間違いなく,同年代の国内最底辺 (−3σ未満) を自負してやみません。さすがに,五指に入るとまでは言いすぎだと思っていますけども・・・
現代に生きる人間力の礎たる,経済力ひとつをとっても,33歳にして,早くも,可処分所得が頭打ちどころか下がる傾向にあり,昭和の年功賃金などなかった*1ことを,いち早く肌で感じている一方,巷の一部の方々に於かれましては,■■ノミクスなる官製バブルらしきものが奏功したのか,ずいぶんと景気のいい話も聞くではありませんか。まったく,うらやましい限りです。
少しだけ,私の数字の話をすると,首都圏の政令指定都市に勤務する身分で,年収 500万円に到達する可能性,基本給の手取り額で 20万円を超える可能性など,どちらも絶対にない一方,年収 400万円を割り込む可能性は,今まさに目前に迫り,3年先の勤務先のヴィジョンも一切なく,いつ,どこの路頭に迷っていても,まったくおかしくない・・・といえば,その経済力の程度が,おわかりいただけるでしょうか。
ちなみに,このご時世,この程度はごく当たり前の経済情勢で,みんなそんなもんだ・・・というのであれば,それはもはや,個人の価値観としての問題ではなく,国としての国力の問題であり,先進国の看板など,ただちに投げ捨てた上で,正々堂々「後退途上国」を名乗らなければなりません。賃金に関していえば,もっぱら,相対的に評価し続けていると,必ず,低い水準に向かって収束していくものです。どこかで絶対に,絶対評価も必要で,最低限,このラインを下回ってはいけないという数字はあって然るべきでしょう。
よく,この手の話をすると,(主に学生時代の)「勉強が足りない」「努力が足りない」と言う方がいらっしゃいますね。いまだに,この一点張りの方が,あまりにも多くて辟易しているのですが,ここで,いま一度,その意味を確認しておきたいと思います。
ここでの「勉強」というのは,「正しかろうと間違っていようと,現実にそこにある世の中から目をそらすことなく,その仕組みを十分に理解して,経済的・社会的な勝ち馬の背中に,確実に乗るための勉強」を指していて,「努力」というのは,「社会のルールとレールを十分に理解して,現実のルールを最高に上手に使って,絶対に,勝ち組のレールから脱線しないための努力」を指しています。その一手段として,学生時代の (できるだけ高い学力偏差値を得て,銘柄大学に云々・・・という) 勉強というものがあるのです。そして,これはあくまでも「一手段」に過ぎず,この過当競争の時代にあって,これだけで安泰と済むはずもなく,学生を終えてもなお,相当な過当競争にさらされることを覚悟しなければなりません。テコでも動かない昭和の価値観が通用する世界があればともかく,学生時代だけ「勉強」と「努力」をしておいて,あとは遊んで暮ら・・・せる時代でもないでしょう*2
そして,この主張に決定的に足りない前提が,「機会の平等が,完全に担保されていること」です。まさか,これほど運に支配される要素があって,機会の平等が完全に担保されているだろうとお考えの方はいらっしゃらないでしょうが,それを十分に考慮してなお,「努力が足りない」と言っているとはとても思えない方が,ほとんどだと感じています。今の時代に「努力が足りない」というのであれば,それは「運や才能に恵まれなかったが,それを覆すだけの努力が足りない。あと ○○ くらい努力すれば,恵まれなかった運や才能をカバーできるのに」と,背景を省略することなく,程度まで添えることが望ましいのでしょう。果たして,そこまで意識している方がどれほどいるか。この点については,去年も指摘したのですが,昭和も終わり,26年も過ぎるというのに,機会の平等が成り立っていない前提を見失った「努力と勉強の呪縛」は,なかなかなくならないものですね。まったく,なげかわしいことです。
とはいえ,私も,片田舎の,裕福とは程遠い,スクールカーストも最下層の学生で,当時を振り返れば,こんな考えに思い至るはずもなかったのですが・・・30歳を過ぎてから気づいても,絶対的に遅いのですね。高校,中学,ヘタすれば,小学生の以前とか,そんなところから,厳しい現実を教え込まなければならないのでしょう。ただ,私としては,そもそも,この世の中のルールやレール自体に反対していますので,おかしいと思っていようとなんだろうと,現実としてそこにある世の中から逸脱させるだけの家庭やら子供など,絶対にもてるはずもないのですが・・・
そのような厳しすぎる かつ 結果格差が大きすぎる世界のトレンド,端的に言えば,グローバル,資本 (市場原理) 主義,新自由主義については,人類を悪たらしめる枢軸三兄弟として,きっぱり反対する立場をとっています。今に始まった話ではなく,生まれてから33年余,たぶん,ずっと同じ考えでいるのだと思います。これらの主義は,人類だけが,弱肉強食の自然の原理から逃れるというのはナンセンスだという考えに行き着くのでしょうが,そういう意味では,人類はまったく進歩していませんし,もうちょっと,進歩したっていいんじゃないですか。最近のトレンドの限り,もはや,進歩を放棄したような感じさえしてなりません。
要するに,努力よりも,運と才能が前提にあって,格差と貧困が広がる一方の世界を是とすることは,自然の摂理にはかなっているにしても,人類の程度としては,それじゃいかんだろうと考えています。百歩譲って,自然の摂理を部分的にでも認めて,競争原理に従うにしても,1% の勝者と 99% の敗者に分かれる事態は,とても,健全な競争の結果であるとは思えません。競争であれば,少なくとも 50% 対 50% でないと,誰もが納得しがたいのではないでしょうか。
ところで,話題の「トリクルダウン」理論についてですが,これは,資本を持てる者が「善人」である場合に限り成立し,かつ,そのようなことは,人類の我欲の本質的にありえないことは明らかですので,STAP 細胞と同じく,最初から存在しないことは言うまでもありませんし,将来的な期待値としても,まったくの論外です (STAP 細胞に代わるネタのほうが,まだ,将来的な期待値はあるでしょう)。このような幻想,まやかしの理論は,ただちに捨て去らなければなりません。

くだらない主張が,ずいぶん長くなりました。ついでに,実現可能な代案は何もありません。現状では,資本の上下関係をひっくり返すような,歴史的革命を起こすほかありませんので。それも,一国ではなく,全世界的 かつ 同時に起こさなければなりませんのでね。それとも,人類の集合知を高めることが「革命」になるでしょうか。それこそ,人類に取って代わるような新しい生物が誕生するくらい,途方もない夢物語で,およそ,相手にもされないでしょうが・・・まずは,おかしいことはおかしいと,きっぱり主張できる,人類の集合知を高める第一歩は,そこからではないでしょうか。

―――正直なところ,具体的な年収の水準を掲げてまで話をすることには,あらかた,下書きを書き終えてからも,ずいぶん悩みました。年収の話は,高低にかかわらず,本当にセンシティヴで,ある種の「パンドラの箱」でもあります。しかし,自らの信念を曲げるわけにはいかん,どんなに叩かれようとも,絶対に譲れない信念が (いくつか) あるため,あえて (その中の1つを) 書かせていただきました。これが,私の唯一のやり方であり,かつ,これ以外に,本質的な意味をもったルールはありません。何卒ご理解ください。




―――毎年,こんな展開だったっけ?まあいいや。ここでは,「書きたいことを,書きたいように書く」ことだけがルールだし。とにかく,一方的に広がるばかりの格差と貧困社会に,とてつもない怒りを,それこそ,1日たりとも休まる暇なく感じており,徹底的に弾劾するという姿勢だけは,きっぱりと表明しておかなければなりません。

続けます。あとはもっぱら,推し事関係です。

今年は,5月までの Live 参観戦が 17本と,近年としては,かなり少なかったのですが・・・あれ?なんで「少ない」とか言っちゃってんだろう (つд⊂)ゴシゴシ (つд⊂)ゴシゴシ
その後,引っ越しに気をよくしてか,はたまた,お目当てのアーティストたちの復活も増えてか,6月〜12月の 7ヶ月で 55本と,昨年以上のペース*3で突き進み,もはや,何が本業なのかわからない状態になってきています。9月には,ついに,参観戦が 500本を超え,また,Live 参観戦デビューから 10年を迎えたことで,このような頭のおかしい奇特なコラムも書きましたし,無謀にも,媒体ライヴレポートを投稿したりもしました。このコラムの体ですから,実際には,載るはずもありませんでしたが・・・ある意味,載らなくて安心しています (媒体の質が担保されたという意味で)。
しかし,レポートに載ることなく安心していたら,まさかの「スナップに載る」という事案が発生しました。これまで,映像収録のカメラに何度抜かれても,ことごとく編集で消され,決して映ることはなかったという,現場廃人の都市でない伝説が,ついに・・・間違いなく,今年一番の事案です。エキサイたんこと,エキサイトミュージックのこれです。26番目 (no_26) です・・・なんで「直リンク」しないかって,恥ずかしいからに決まってんだろ,言わせんな恥ずかしい/////
とはいえ,1度載って=晒されてしまえばこっちのもの,失うものは何もない勢いで,ガシガシ,載りまくりたいと思います!!! (`・ω・´) (いや・・・エキサイたんところが,例外中の例外で,普通はボツになるっしょ,余裕余裕 ♪〜 <(゚ε゚)>)
今年は,若干昔の傾向に戻って,1アーティストに数多く行くという偏りもありましたが*4・・・11年目,新しいことも,どんどんやっていきたいですし,新しい人たちにも会いに行きたいと思います。予算の範囲で。もうすでに,ずいぶん決まってきていますしね。
Live 云々で書きたいことは,すでに,こちらのコラムに書いてありますので,改めて書くことは,あまりありませんすみません。あるとすれば,主にライヴハウスで,オーバーキャパで客が入っている状態のフロアと,飲んだ酒のカップを,フロアに置きっぱなしにしておく客はダメだ・・・そんなところでしょうか (あるとすれば・・・って,見つけたと思ったら,苦言でしたすみません)。10年・500本も通っていると,それは,よくも悪くも,いろいろありますけども・・・私の数少ない,1割くらいの充実した時間でもありますし,なるべく「石を拾えど,玉を捨てるな」の姿勢で,残り 9割の非充実を和らげる程度に楽しみたいと思います。その前に,9割の非充実を変えたほうがいいんじゃないか,という核心を突いちゃあ,ダメよ〜ダメダm(ry
ところで,よくある質問として,「一番よかった Live は何ですか?」ってあるんですけども,これ・・・毎回,返答に困るんですよねえ・・・そもそも,序列をつけないようにしていますし,どんな Live でも,何かしら,いいところを見つけてこようとしていますので。「行かず (行けず) に後悔した Live は何ですか?」という質問だったら,今年だけでも,いくらでも,答えが出てくるんですが・・・( ;´・ω・`)ノ( ;´・ω・`)ノ

・・・あっそうだ (去年と比べて,文字数が少ないからといって,無駄に水増しを図る),Live に通い始めてからというもの,歌番組を,めっきり観なくなってしまいました。気がします・・・ではなく,確実に観なくなってしまいました*5。定期で観ているものは何もなく,お目当てのアーティストたちが出るところを,ちょこちょこ観る程度で。もちろん,番組観覧やら収録にも,一切,応募したことはありません (そのぶん,Live の券を取らせてくれよと・・・)。
理由は・・・なんというか,表も裏も,「つくられた感」がつまらないんですよね。いや,実際の Live だって,ものすごく厳密に作られてはいるんですよ。進行表を見たこともありますし,小さいながら,バックステージに入ったこともありますし。
じゃあ,何が違うのか。自分なりに考えてみたところ,現地に行って,つくられたステージを直接見聴きするにしても,自由度がぜんぜん違うことと,見聴きするのみならず,全身で「体感」できる,これが,圧倒的に違うことに気がつきました。そこには,台本はあるにしても,決してその通りには進まない,というより,進んでほしくないワクワク感と,その場じゃないと,なかなかできない「所作」があるんだと。所作については,ひとり,家でやれないこともないのですが・・・経験上,その体感は「比較できないレベル」に達していると思います (体感には個人差があります)。
それで,「Live の Live 感」といいましょうか,それに慣れてしまうと,どうしても,「テレビの Live 感」だと満足しなくなってしまって・・・そこまできてしまうと,もはや,生活の中から「Live をなくす」という選択肢はとりえないんじゃないかと思ってしまいます。実際,それを追っかけるだけでも,相当にいっぱいいっぱいで,この生活自体,立ちゆかなくなったらどうしよう・・・と,一抹の不安を感じたりもします。「好きは分散させよ」を是とする私としては,本当は,そこまでいくのもよくないんですけど・・・アーティストこそ,ずいぶん分散しましたけども,そもそも,「Live 一択」というのがよくないですね。10年を機に,Live 以外のありかたについても考えないと・・・いざ破綻してからでは,遅すぎますのでね。




今年も,無駄に長くなりましたが,私には,建設的な文章なんて,ひとつもない! あるのはただ,殴り書き アーンド 殴り書き,すべてを,ぶっちゃけることだ!!!

―――このあたりで,失礼いたします。みなさま,どうか,よいお年をお迎えくださりますよう。

*1:正確には,昇給額が控除額を下回る状態が続くことになります。公的セクターの天引き分だけで,このていたらくですから,物価上昇の影響どころではありません。

*2:唯一の例外があるとすれば,「地盤=生まれ・コネ」がモノを言う世界でしょうか。それこそ,「人生運がすべて」で決まってしまいますけども。

*3:ちなみに,昨年 (2013年) は,5月〜12月の 8ヶ月で 54本でした。1月〜4月の 4ヶ月で 27本というのも,凄まじかったなあ・・・

*4:スナップされた きゃりーぱみゅぱみゅ は,ワンマンで 7回でした。1アーティストのワンマンの年間本数としては,2009年の 大塚 愛 (8回) 以来,5年ぶりの水準です。ちなみに,この年は,年間で 50本でした。

*5:地上波はもとより,BS/CS でも,いくつも番組が映り&録ってはいますし,円盤 [DVD/Blu-ray] としての映像作品も,相当数たまってはいるのですが・・・一向に,映像の消化が進まないのは,ややもすると,歌番組に通ずるものがあるかもしれません。