phyocc a.k.a. みりん36 (@phyocc) - Information

年末の御挨拶 (2020)

業躰獄門同好会 「糸屯型院古ロナウイルスが憎い」
(C) KUSAYA RECORDS 2020


糸屯型院古ロナウイルスが憎い
糸屯型院古ロナウイルスが憎い
糸屯型院古ロナウイルスが憎い
す こ ぶ る 憎 い

糸屯型院古ロナが現れて
現場は壊滅 大惨事
通った数より キャンセル多い
原状復帰は 夢の夢

糸屯型院古ロナウイルスが憎い
糸屯型院古ロナウイルスが憎い
糸屯型院古ロナウイルスが憎い
す こ ぶ る 憎 い

帰ってくるなと 釘刺され
マスクつけねば 犯罪者
マスク頭痛など 人権なし
片頭痛の薬が 足りませぬ

糸屯型院古ロナウイルスが憎い
糸屯型院古ロナウイルスが憎い

しかし このまま出社してなるものか

こんな時だからこそ テレワークしまくり
なんやかんや出来るじゃん 出社日をゼロにしろ
イッヒーーーーー


(もとネタ : 打首獄門同好会新型コロナウイルスが憎い」 from “2020”)

Zepp Tokyo のネ申番 (A-41) 潰したこと まだ恨んでるのかな」
当 た り 前 じ ゃ 墓 場 ま で 持 っ て い く に 決 ま っ て お る

・・・もうすでに,この出オチ歌オチで嫌になってしまわれた方は,何卒,この先はお引き取りを。だいたい,なんだよ「業躰獄門同好会」だの「糸屯型院古ロナウイルス」だのって。
みなさまのそばに,否が応でもともにある COVID-19 とともに,よいお年をお迎えくださりますよう。

・・・あ,ちなみに,12月17日の打首獄門同好会 @ Zepp Haneda,私,初の「生獄門」にして,あの悪夢の 2月29日 @ Zepp Tokyo が中止に追い込まれた無観客 Live 配信のリベンジマッチとなる 1本は,それはもう最高でした。大澤会長に曰く「こんなにも,不自由なライヴハウスへようこそ」というほどに厳しい制約のもとにあってなお,最高すぎて,膝の関節の衰え ヤ!バ!イ! ヤ!バ!イ! ヤ!バ!イ! ヤ!バ!イ! (貧弱!貧弱ゥ!)


時に 2020年2月26日,新型コロナウイルスの猛威に焦りを感じた時の日本政府が,全国一斉に,大規模イベント等の「自粛要請」という名の「禁止通達」を出してからというもの,あれよあれよという間に,もう,年末のご挨拶を申し上げる時期になってしまいました。その日から半年以上,あれだけ暇な時期が続いたというのに,何かが実現できるわけでもなく*1,かといって,十分に休めるというわけでもなく,中途半端に,ダラダラと時を過ごしつつ,気がつけばもう年末という,あいかわらずの「人生の無駄遣い」に余念がない,このていたらく・・・まあ,私から「中途半端」「無駄遣い」をとったら,それこそ,何も残りませんのでね。それはそれで,本領発揮の 1年であったと言えましょう。
そんなわけで,今年は,最悪の 1年でありました・・・と,誰もが,そのように言いたいであろうところ,私自身,この 1年を振り返るに,実は,40年弱の人生で,これほど世がダイナミックに動いた,面白い年はなかったと思えば,必ずしも,悪いばかりの年でもなかったというのが,率直な所感であります。もちろん,ただただ最悪だったという人が多数であることは,重々承知しておりますし (中には,日々の生活の危機,命の危機という方も,少なからずいらっしゃることでしょう),あまつさえ「面白い」とは何事だというお叱りの声があることも覚悟してのことではありますが。
私自身,モノの価値観や,わが身の処しかたを正す・・・とまでは申しませんが,今まで,なんとなく進むことしかできなかった日々を振り返ることができる 1年となったことは,そのきっかけが何であれ,前向きにとらえるべきことと思えます。

―――それでは,今年も,徒然無駄に振り返ってまいりましょう。昨年並みに,そこそこ長いですが,中身は,例年通りに何もございませんし,この私が,何か身になることなど申し上げようものなら,それこそ,まさしく「緊急事態宣言」であります。

ここ数年,ことに Live の物量がエスカレートしていくとともに,往復・3時間半の通勤に,無駄な時間外までも重なり,もう無理だよ休ませてといった「リタイア感」でいっぱいでありましたが・・・今年の 3月以降,図らずも,時のコロナ禍により,月に 10本を数えた Live はことごとく飛び,勤務自体もテレワークのほうが多くなり,そもそも,仕事自体も減少し「時間外勤務禁止令」が通達されるなど,ここ数年では,非常に稼働の少ない年となりました。感覚的には,前年比で,勤務で 5割 (通勤頻度が 3分の1 程度にまで減ったぶんも考慮して),Live にいたっては,3月以降でみれば 4分の1 にも満たない状態でした。とりわけ,3月から 8月までの半年間で,わずか 2本,事実上の「空白地帯」が半年もあるという,かつてない異常事態に直面し,さぞかし,心身を休める時間もあった・・・はずなのに,たいして休んだ気がしないのは,いったいなぜでしょう??? いやいや,勤務だってテレワークも取り入れ,時間外も (主に予算の都合で) 禁止になり,必然的に,収入も 2割程度ダウンすることで,「あそぶかね」も少なくなった以上,さぞかし,休む時間はあったはずなのに,これはおかしい・・・しかし,実際,この生活になったらなったで,謎の神経痛やら,(まったく命取りでない) 新たな不定愁訴も起こっていますし,いきなり環境が変わるというのも,必ずしもよくないのかもしれません。いっそもう,数年単位で終日休みくらいにしないと,本当の意味で,休んだことにならないのかもしれません。
それにしても,これだけ稼働が少なくなってくると,この先,およそ「現状復帰」などできない気もしてきます。まあ,あえてする必要もなければ,する意思もありませんが・・・今となっては,休んだ気がしないのであれば,もっと休みたい。それこそ「労働のない Stay Home」を 2,3年ほど・・・(;´Д`)

さて,今般の新型コロナウイルス (COVID-19) による世情の混乱は,当然のごとく,人間の本性をあらわにさせる格好の機会となりました。もっとも,有事が起これば,必ず,人間の本性が現れることくらいは,毎年のように起こる有事の数々で経験済みでありますので,私としては,今回もまた,ああいつものことか,くらいの感覚でしかありませんが・・・これでも,古代の感染症の歴史よりは,ずいぶんと進歩したものです。と申しつつ,世界史はさっぱり知りませんが。ただ,今回の感染症が,古代の感染症の歴史と違う点があるとすれば,行き過ぎた資本主義,経済至上主義,グローバル主義がもたらした厄災かもしれないという点でしょうか。豊かな開発の果実を求めるがあまり,掘らなくてもよいところまで根掘り葉掘りしてしまった結果,うっかり「未知の何か」が出てきてしまったら,たまたま,それが厄介な性質のウイルスだった・・・確かな起源も,今なお不明なところが多くありますゆえ,コロナウイルスを資本のせいにするのはいかがなものかという方もあおりでしょうが,少なくとも,コロナ禍のあとの「コロナビジネス」(コロナに直接的・間接的に関わるすべての商売) で,紛うかたなき資本主義を見せつけられているではありませんか。言いかたは悪いですが,「コロナを食い物にする」時代と申しましょうか。たかがマスク,たかが消毒液で,これほど狂乱した人類の歴史を,私は知りません。
「人間とは,有事に本性を現すものなので,これらの行動は,すべて正しいです。残念ながら,あきらめてください」・・・と言ってしまえば,ああそうですかで終わってしまうものですが,それでは,人類の集合知も何もあったものではありません。人間の本性が現れることは,ある程度やむを得ないにしても,本性を食い物にすることがあってはならないでしょう・・・ということで,混迷を深める日々の何が問題なのか,私なりに振り返ってみたいと思います。

まずは,政治・行政とマスコミの劣化。平たく申し上げて「衆愚政治の限界」がきていると思います。もっと根が深いことを申すならば,政治・行政もマスコミも金がないため,どうしても,クオリティを落とさざるを得ない。加えて,コロナ禍でなくても,変化が速すぎる時代です。一方,太古の昔から「早い・安い・旨い」でおなじみ「吉野家フレーズ」が成立しないのは当たり前で,どうしても,トレード・オフの関係が避けられないものですが,今はもう,とにかく早く,安く買い叩くことしか考えられないため,「旨い」アウトプットなど出るはずもなく,めちゃくちゃになってしまう。当然の帰結ではありますが,しかし我々は,悔しきかな,そのアウトプットを受け入れるしかない。市民自身とて,考える余裕などあろうはずがない方が大半でしょう。
ではなぜ,このような事態になってしまったのか。昨年のご挨拶にて,私は「余裕のなさが万物の諸悪」と申しましたが,加えて,以前から「消去法」で選択し続けることの害悪を問題視しています。そして,もはやこの「消去法」も通用しない,どれを選んでも,得点が入らない状態まで追い込まれてしまっているのではないかと危惧しています。何かこう,「消去法」の使いかたを間違っていないでしょうか。「消去法」とは,基本的に,「私には,この問題の正解がわかりませんが,とりあえず,間違っていそうなものを消していって,最後に残ったものを (よくわからないけど,たぶん,これが正解だろうという結論として) 選ぶ」方法ですので,「問題の正解がわからない=理解していない」という意味で,決して褒められたやりかたではありません。きちんと理解さえしていれば,「消去法」などとるまでもなく,ストレートに,正解を選べば済むだけですのでね。試験戦略として,こういう「消去法」を当然のごとく推奨してしまうのも,よくないのでしょうね。そもそも,問題からして「正しくないものを選べ」とか。
この「消去法」の害悪を,きわめて明快に読み取ることができるのが,各種の世論調査でしょう。どの世論調査をみても,例外なく「他よりよさそう」がトップにきていますね。本来,このような (よくわからない奴は,とりあえず,これでも選んでおけといった) 選択肢自体,積極的に提示してはならないはずなのですが,「消去法」がもっとも積極的に選択され続けた結果,もうこれ以上「消去できるものがない」状態にまで陥ってしまった。もっと厳しいことを申し上げれば,我々,一人ひとりが「消去法」で逃げ続けてきた結果,どうしようもない状態にまで,事態を悪化・劣化させてしまった。「他よりよさそう」には,下限がないと思っていたら,いつの間にか,下限である「0点」がみえてきてしまった。「よさそうな他の選択肢」がない状態です。これば別に,今に始まったことではなく,先人たちが,脈々と積み上げてきた「負の選択肢」の成れの果てでもありますが。
このようなていたらくですので,マスコミも当然,「消去法」によって番組を流すことになります。なにしろ金がないので,金を出す (それも,かなり金を渋られている) スポンサーの意向に沿うことしかできず,ただひたすらに,毎日毎晩,右にならえの番組を流すしかありません。もはや,民放のワイドショーの質など論外で,民放でそれなりに観ていられるのは,たまに面白いと思えるドラマくらいでしょうか。はっきり申し上げてしまえば,この際,ワイドショーなどすべて「廃業」して,過去の作品の再放送枠にでもしたほうが,よほどマシです。恐るべきことは,これが,民間メディアのみならず,公共メディアたる NHK にも,少なからずみられることなのですが・・・「市民のみなさまがスポンサー」なのですから,(ある意味で,一部の「奇特なスポンサー」を排除した)「多数のスポンサーの意向に沿う」という意味では,当然の流れなのでしょう。あろうことか,数字 (=視聴率) がとれないという理由で,Eテレの廃止を掲げる「自称」有識者もあるようですが,「公共」の何たるかを,まるで無視する有識者とは,まったく,とんでもないことです。

コロナ禍であろうとなかろうと,こんなめちゃくちゃなアウトプットでも,なんとなく,国家としての体が成立してしまっている最大の要因,それは,もはや同調圧力が勝手法律」になってしまっているからにほかならないと思います。考えてみれば,コロナ禍で国がしたことといえば,せいぜい「指定感染症・第2類」に指定したこと*2,「マスク・消毒液の一時的な転売禁止」を指示したこと,それに,緊急事態宣言と引き換えに,いくばくかの金と「布切れ」を渡したことくらいで,医療・介護従事者の待遇改善,保健当局の拡充,一般市民への行動制限なども,一切していませんからね。ひたすら,お願いと指導と公表,形だけの感謝の念だけで,何らの実効性ある罰則もなし。極端な話,「緊急事態宣言」が出ようとも,罰則がない限り,やりたい放題なわけです。
この程度の法整備で,よく,これだけの行動抑制が成立するものだ,海外だったらありえないよと,日本人の民族性を自慢する方も多いとは思いますが・・・残念ながら,私はこれを,自慢できることであるとは思えません。たとえば,好き好んで年中マスクしている方など,あまりいないとは思いますが,単なる鬱陶しさ以前の問題として,持病が悪化する方々がいるのです。ズバリ,当の私です。重度の頭痛持ちで,コロナ禍のおかげで,マスク頭痛の悪化も甚だしいのですが・・・我々のような「マスク頭痛患者」,その他,さまざまな身体的事情があって,マスクをつけることが大変な方々には,同調圧力という勝手法律のもと,基本的人権すら存在しないのでしょうか*3
そもそも,私自身,「同調圧力」という言葉が,死ぬほど嫌いということもありますが,これは単に,個人の好き嫌いの問題にとどまりません。同調圧力は,ひいては「思考停止」を招き,先に述べたマスコミによって「思考停止」状態の国民が (扇動の繰り返しで) 食い物にされ,その結果,無用なストレスを増幅させ,数多の人間関係に深刻な禍根を残す。こんな不幸な「圧力の連鎖」がありますか。国には,あたかも,同調圧力を法律代わりに甘えることなく,やるならやるで,罰則と補償も含めて,きちんと法整備することが本筋であると申し上げたい。それが「法治国家」に関わる者の仕事であって,有事でも揺るがぬ「同調圧力」と,戦時下のような「耐え難きを耐え,忍び難きを忍んでくれる」国民性に甘えているだけでは,ただの「放置国家」ではありませんか。奇しくも,年明け早々にも,新型コロナ特措法 (すっかり忘れ去られた本名:新型インフルエンザ等対策特別措置法) 改正の話題が挙がっているようですが,ここで,間違っても「補償なし・罰則付き」といった最悪の改悪にならぬよう,市民の責任と当事者意識をもって,きびしく監視していかなければなりません。
産・官・学を問わず,今年はことに「権力は必ず腐敗する」という場面を,嫌というほど見せつけられてまいりました。今さら言うまでもありませんが,権力を監視するのは市民です。ということは,ほかでもない「市民が権力に無関心でいること=権力を甘やかしてきたことのツケが回ってきている」という当事者意識なくして,世直しの「世」の一画目にも達しないことを,ここに申し上げたいと思います。

このような事態を招いたことは,一方的に,政治・行政だけが悪いのではありません。我々 (もちろん,私の自戒も込めて) 市民の姿勢も,また問題です。というより,国家のレベルは,絶対に,市民のレベルを超えられない。我々市民が,これを自覚するところから始まります。たとえば,あれだけ物議を醸した Black Lives Matter (BLM),日本学術会議の任命拒否問題のことなど,年の瀬の今となっては,もうお忘れではありませんか。いずれも,基本的人権や自由の侵害に関わる重大な問題であることに,疑いの余地もありませんが・・・そんなことより,日々の生活の金の工面に四苦八苦する市民が,大多数ではありませんか。時の権力者,上級国民にとって,「忘れられる」ということは,実に都合のよいことです。まさに,シナリオ通りといったところでしょうか。
現代政治・行政の仕事は,本質的には「金稼ぎ」である。認めたくありませんが,行き過ぎた資本主義社会では,政治・行政ですら「金稼ぎが第一」であると割り切らなければなりません。我々,一般市民と同じですね。誰も彼もが,金が第一,金がすべての利益至上主義経済に翻弄されている社会にあって,一般市民が,政治・行政に対して,自らの生活向上を,あたかも「外注的に」丸投げ状態にして,成果が出ない (自らの生活がよくならない) と文句ばかりつけている。国家のレベルは,市民のレベルを超えられないわけですから,国家もまた,内外の金稼ぎに腐心する「集金マシーン」になるのも無理はないでしょう。ですから,「自助・共助・公助」などと,一国の宰相が,恥ずかしげもなく公言できるわけです。市民としては,「自助」や「共助」がもう限界まできているがゆえ,「公助」に外注するしかないわけですが,端的に申し上げれば,もう公助できる金がない (外注されても,これ以上,仕事を請けられない) のです。
そして実は,ここで,単なる「待ちの姿勢」(果報は寝て待て,そのうち誰かが,どうにかしてくれるだろうという楽観的な姿勢) にとどまってしまっている点が,市民の問題として致命的です。本来なれば,公助に金を回せ,金が足りないのならば,もっと金持ちに出させろ (格差を正せ),究極的には,こんな資本主義なんぞやめちまえという,ある種の怒りにも等しい気概が,「攻めの姿勢」としてまったく感じられないところに,現状認識の甘さ,当事者意識と危機感のなさが伺えてなりません。いや,「公助」を持ち出してくるうちは,まだマシなほうです。この期に及んで,なぜか「自助」「共助」の押し付け合いで,下々同士で怒り合い,いがみ合い,苦しみ合っている市民の姿など,怒りの矛先が違いすぎて,もはや,痛々しくて見ていられません。コロナ禍で困窮する市民が多ければ,大いに連帯し「公助」を求め,「公助」を求められた国は,大いに金持ちから金を取る,この大きな波を作ろうという気概が,いったい,どこで目詰まりを起こしているのでしょうか。残念ながら,単に「公助に金を回せ」だけでは,永久に,金など回ってきません。ここまできてしまったら,小手先の「消去法」では無理なのです。こうなったら,何がなんでも,行き過ぎた格差の是正を,地球全土で一斉に,強烈に推進する以外に方法はありません。これを機に,「強制トリクルダウン」「世界統一基礎税」(一律税率) のひとつくらい,本気で導入してみてはどうでしょう?
・・・まあ,長年,反資本主義者の立場として,本気で,そんなことを考えているわけですが,最低限,ただちになすべきこととして,コロナ禍で,誰彼挙げきれぬ,枚挙にいとまがないほどに広がる格差と貧困を,大至急「公助」で手当せずして,いったい,何のための国家かという点だけは,怒りを込めて弾劾しなければなりません。この期に及んで「申請主義」などではなく,無理矢理にでも,一方的に金を渡させるくらいの気概が必要です。私自身,資本主義は終わった,資本に殺されると,毎年,毎日のように申し上げているのですが・・・哀しきかな,今般のコロナ禍で,資本の格差は,さらに拡大してしまいました。今こそ,資本の論理「構造の変化」「環境の変化」といった美麗字句に,ゆめゆめ騙されることなく,「格差是正」「貧困撲滅」をスローガンに,きびしく,資本と対峙してまいりましょう。現状維持のまま,資本に殺されたければ,今のままでもかまいませんが・・・少なくとも私は,コロナにかかって死ぬ以前に,資本の論理で死にたくはありませんのでね。

市民の問題として,もう 2点ほど申し上げます。たしかに,マスコミを盲目的に信用することも問題ですが,ネットにのみ真実が存在するというのも,また違います。重要なことは,マスコミであれ,ネットであれ,そもそも,自らにとって,その情報が必要であるかどうか,真偽のほどはいかがか,どのような反応を示せばよいのか,こういった基本動作をとれることだと思います。コロナ禍で世情が不安定な今だからこそ,強く感じます。今般の過剰な暴力的・差別的・扇動的な反応をみるに,これはもう,単に「マスコミが悪い」だけでは済まされない,市民の受け止めかたの未熟さのほうこそ,問題だと感じずにはいられません。市民のレベルを,マスコミもまた超えられないのです。マスコミも国家も,すべて,我々市民のレベルがベースになるのです。
そこで,いわゆる「頭のいい方々」「金持ちの方々」「社会的地位の高い方々」に,ぜひお願いしたい。この際,ぜひとも,階級による「分断」をやめていただきたい。上級国民の世界だけでない,ごく普通の一般市民,さらには,さまざまな困難を抱えた市民の姿にも目を向けていただきたい。ものすごく言いかたが悪くて恐縮ですが,わかりやすいので,あえて申し上げます。この困難な時代に,あなた方「上級国民」が,我々のような「下級国民」を見下し,分断を煽っている場合ではありません。これもまた「人間の本性」ですから,そのようにしたくなることは百も承知ですが・・・その恵まれた才能なり知力を,誰も取り残さない,わかりやすい情報発信に注ぎ,恵まれた富を再分配し,恵まれた権力や地位を,一般市民全体を底上げする力に替えて,分断ではなく,連帯のほうにこそ活かしていただきたい。それが,下々たる我々からの切なる願いです。
そして,いわゆる「エッセンシャルワーク」に感謝するフェーズは,もう終わりました。いや,感謝しないのは論外ですよ,念のため。まだまだ,理不尽なストレスの「はけ口」にされることも,少なからずありましょうが・・・そういった「はけ口」にする側も,実は,単に,急激な環境の変化についていけてないだけなのかもしれません。だからといって,何の免罪符にもなりませんし,毅然とした対応が必要ではありますが。私が申し上げたいのは,感謝は当然のこととして,とにかく「待遇の改善」を,ただちに,今すぐに行うべきフェーズにきているという点です。言うまでもないですが,医療・介護従事者に限りません。ごみ収集業者,清掃業者,店頭店舗の販売員,その他,生活に必要不可欠なすべての仕事に従事される方々にとっての待遇改善です。それには,当然,受益者負担の観点から,ある程度の「値上げ」も甘受しなければならないでしょうし,まさに「公助」による補填も必要です。しかし,彼ら・彼女らには,その価値がある。今こそ,エッセンシャルワークの価値を見直し,正当な対価を支払うべきときではありませんか。景気とは裏腹に,株価だけが謎に値上がりし,ここぞとばかりに金転がしばかりに明け暮れている「資本の亡者」のみなさん,そう思いませんか?
それと,医療・介護従事者とて,ひとりの人間であり,行動の自由が保証されているはずです。なぜ,ここまで不当な縛りや誹謗中傷を受けなければならないのか,まったくもって,理解に苦しみます。激務・薄給に加えて,自由も人権も剥奪されている現状待遇では,むしろ,離職しないほうが不思議でしょう。日々の献身的な働きの労りとして,せめて,自由に解放される時間くらい,行きたいところに行き,会いたい人たちに会い,やりたいことをする。日々の感染対策は,それこそ「現場のプロ」なのですから,当事者が活動を望む限り,外野が口を挟む余地もないでしょう。多くの一般市民と同様に,コロナ禍なりにも人間らしい生活を送れることが,なにより,現場の最前線に立つ者の基本的人権として認められるべきですし,外野がそれを阻害するようなことは,厳に慎まなければなりません。

今年,もっとも進んだ「働き方改革」の一つとして,テレワーク (在宅勤務) が挙げられることに,そう異論はないでしょう。かくいう私も,幸いにして,今のところは,その恩恵に預かれる立場でありますが (来年 4月あたりから,どうなるかは知りませんが),これもまた,職場まで足を運んで働くのが当たり前という,ややもすれば無駄な価値観と,不毛な同調圧力が邪魔をしていたかが,よくわかった事例かと思います。もともと,精神論ありきなのですから,これまで,仕組みを整えてこなかったのも当然でしょう。メールを打つ,企画を練る,プログラムを書く,そのようなことを,わざわざ,どこで集まってやる必要がありますか。今や,国際会議ですら Zoom で開催する時代です。しかしこれからは,精神論だけでテレワークができないというのは,むしろ,甘えとしてとらえられるべきでしょうし,実際にテレワークができないエッセンシャルワーカーにとっても,何もいいことはありません。どうやら,このコロナ禍は,当面の間 (無期限で) 続くようですので,テレワークができない方々のためにも,ますますテレワークを推進し,無用な接触と通勤時間の浪費 (これ重要) を避けることは,有意義であるというより,社会的にも重要な取り組みではないでしょうか。弊社の偉い方も,そう思いませんか?
しかし一方で,必ずしも,オンラインが万能 かつ 正義というわけでもありません。学校を出てしまえば,ある程度は割り切りでいくべきだとは思いますが,気の毒という一言ではとても片付けられない,いま一番,割りを食っている大学生のことを思わずにはいられません。たしかに,オンライン講義で済むことも多くありましょうが,大学生活でしかできない経験,講義や実習も然り,それ以外にも,外の現場に出て,人々との直接的なふれあいでしかなし得ない経験をしていただきたい。私のように (15年以上も前のことですが),ロクな大学生活を送れなかった者だからこそ,強制的に,オンラインでしかつながることが許されない大学生の現状を,非常に憂慮しています。キャンパス封鎖時から叫ばれて久しい「大学生の日常も大事だ」・・・まったくもってその通りですし,仮に,今の学生生活を続けることが,医学的に正しい措置であるとして,倫理的に許されるものでしょうか。

今年は,Live を生きる糧とする者にとっては,間違いなく,最悪の年であったと言えるでしょう。首相官邸からの鶴の一声で,全国津々浦々の Live が活動停止に追い込まれた 2020年2月26日は,未来永劫「暗黒の水曜日」(Black Wednesday) として語り継がれましょう。Do As Infinity 大渡亮 (Gt.) 御大に曰く,「エンタメはしんがりで候」・・・この言葉が,今年ほど重く感じられた年はありません。実際,参加率 98.84% (2020年末時点で 1,104本 / 1,117本中) と,われながら,かなり高いであろう参加率の私も,あまりにも,キャンセルや不確定の要素が多いため,2020年2月26日 (公演番号:1087/20) 以降の公演について,当面の間 (無期限),「予定される公演番号」の付番を見合わせた上で,公演が開催されたものから,確定付番する運用を続けているのですが・・・残念ながら,来年も,まだまだ続きそうですね・・・ちなみに,今年・20本目の記録がついたのは,2月25日の 19本目から数えること 144日後,7月18日のことでありました。あまりにひさびさのことで,そのときの模様をコメントしてしまいました
当の 2月26日に,首相官邸からの司令が飛んだ時点で,向こう 3ヶ月の予定は早々にあきらめ,3月に入ってからというもの,この先 1年以上は無理だろうと覚悟もしたものですが・・・意外と早く,再開するところは再開しましたね。緊急事態宣言中に私が示した見解では,ライヴハウスで 2021年4月以降,ホール・アリーナでも,2020年中の再開は無理だろうと申し上げましたし,7月に先陣を切るところが出てこようとは,完全に想定外でした。これに関しては,先陣を切った後の展開も含めて,もっぱら,私の見識不足をお詫びしなければなりません*4。再開した当初は,それこそ,キャパシティを 10分の1 にまで削減するとか,行政指定のソーシャル・ディスタンスを確保した結果,フロアに 8名しか入れられませんとか,私が経験したところですと,duo MUSIC EXCHANGE にあって「定員・15名」とか,そんな感じで再開していたものですが,12月になって,私がいくつか現場に足を運んだ限り,ホール・アリーナで 2分の1,ライヴハウスでも 3分の1 程度まで,客入りが戻ってきた印象があります。もっとも,今なお客足は鈍く,平時なれば,キャパシティいっぱいでも優に完売しそうなところ,半分でも余裕があることも,少なからず見受けられますが・・・
私も,2月末から 3月の頭くらいは,それなりに楽観的な見かたをしていたものですが,今となっては,コロナ禍が完全に終息することはありえないという見かたに変わってしまいました。いや,1年以上「出入り禁止」という悲惨な見立てこそ,いい意味で外れてくれましたが,問題はここからです。単に,再開できることがゴールではなく,ここから「原状復帰」に向けた動きが求められるのですが・・・これには,どうしても「完全に終息すること」が,唯一の条件としか考えられません。Live を生業とする者にとって,絶対に避けて通れない「密」や「飛沫」が,医学的に禁忌である限り,現状復帰などありえないですし,そのために絶対に必要となる「完全終息」の世界が見通せない以上,原状復帰もありえないだろうという,なんとも絶望的な連鎖ではありませんか。こればかりは,ワクチンが救世主になるとは,安易に考えないほうがよいでしょう。いくらワクチンができても,悪い意味で「コロナはただの風邪」(ただし,死に至るリスクもそれなりにある風邪) である以上,根絶できることはないでしょう。そもそも,意図的に接種を避ける方々もいるでしょうし,なにより「風邪のワクチンや特効薬」それ自体,人類の歴史で発明されたことなどないのですから。これが,天然痘のような,ある意味で「性質のいい」(抗体が半永久的に続く,ワクチンが容易に作れる,そう簡単に変異しないといった性質のある) ウイルスであれば,まだ,希望も見いだせるのですが (もちろん,天然痘自身が流行ってしまっては困るのですが)・・・

結局,2020年2月26日に突入したコロナ禍以降 (とりあえず,この日を起点日とておきしましょう),本日に至るまで,18本の Live に通うことができました。年内はもう「出入り禁止」を見込んでいただけに,思ったよりは,はるかに実績としては多いものの,年初の 2ヶ月で 19本なのに,その先の 10ヶ月で 18本て・・・しかし,この 18本,とりわけ,最初の 2,3本は,現地 Live の再開を喜ぶとともに,今後の Live に通う身の振りかたさえも考えさせられる,非常に貴重な経験となりました。あくまで,私自身の好みの問題なのですが,数多い制限事項の中でも,「声出し禁止」の制限が,なによりしんどいものだと感じています。もちろん,マスクをした上での「声出し禁止」です。歓声や歌はもちろんのこと,笑うことすら許されないという厳しさ。要するに「飛沫、ダメ、ゼッタイ」(HDZ) なわけですね。そういうときに限って,知っててつい歌いたくなる曲とか,コール&レスポンスとか,MC で謎の「歓声エフェクト」を用意してこられたり,笑かすつもりのない超天然キャラで,笑かしにかかってくるものですから・・・これはキツい。まあ,実際のところ,そこまで (HDZ に) 厳格なわけではありませんが,少なくとも,現状の制約では厳しすぎて,思うような楽しみかたができないことも,また事実です。もともと,黙って観て聴いていればいいという方にとっては,あまり影響もないのかもしれませんが・・・Live 現場のありかたが変わる以上,自らの趣向を変えていくことも,本気で視野に入れなければなりません。もっとも,趣向といっても,Live 通いそのものを廃業するつもりはまったく考えておらず,どのような Live であれば,コロナ禍の制約と Live の楽しさの両立を図れるのか。2021年は,そのような意味で,前向きに趣向を変える模索の旅としたいと思います・・・というより,現状を取り巻く厳しい環境では,否が応でも,そのようにせざるを得ないと思います。
なお,ひとつだけ申し添えておきますと,現状の Live 会場は,かなり安全です。どうしても心配であれば,残念ながら,その時点で「行かない」という選択をとるしかありません。人数制限に始まり,来場者管理から (そういえば「転売屋」なる言葉も,すっかり聞かなくなりましたねえ・・・),マスク必須,声出し禁止,場合により,フェイスシールドまで着用させられますのでね。フェイスシールドまでする意味があるかは微妙ですが。唯一の不安材料といえば (特に,小箱ライヴハウスの宿命ともいえる),狭小・閉鎖空間の換気くらいでしょうが,そもそも「声出し禁止」,かつ,人数も相当に限られているため,他所と比較しても,別段に感染リスクが高いとは思えません。密集度でいえば,(12月時点の) 首都圏の通勤ラッシュのほうが,よほど高いくらいでしょう。
現在の Live 現場は,演者も客も運営も,三方一両損どころでないくらい,相当に高い代償を払うことを強いられています。そんな中,客の立場として,音楽を守りたいとか,表現の場を守りたいとか,生きる場所を守りたいとか,あるいは,推しを守りたいとか,さまざまな思いもあろうかと思います。コロナが心配だから・・・という思いを飛び越えたとして,その先に待ち受けている,さまざまな制約と不自由をもってしても,行きたいと思うならば,心置きなく行けばよいですし,こんなの Live じゃないと思ったら,ご自身の気持ちを尊重して,いっそ,潔く行かないということも,立派な選択です。なにより,このように申し上げている私自身,Live の現場の「原状復帰」は,ほぼ無理だろうと考えていますのでね。先ほど,意外と早く再開したものだと申しましたが,「Live ができる」ことと「Live を楽しめる」ことは同義ではないという点だけは,くれぐれも,心に留めておきたいと思います。単に,Live に足を運ぶだけでは片手落ち,Live は楽しい場所で,何かを得ることができる場所。コロナ禍の今こそ,その原点を大切にしたいものです。

しかし,Live を糧に生きる者として,今年が散々な年であったことは確かですが,エンターテインメントのすべてが終わったわけではありません。いや,そんなことを申していては,己の視野狭窄ぶりが露呈してしまうではありませんか。自分の好きなところしか見えていないと,壊滅しているように見えてしまうだけで,実は,エンタメ界の明暗も極端に分かれた 1年となりました。「現場系エンタメ」は壊滅状態である一方,「巣ごもり系エンタメ」は,空前のブームとなっています。"Stay Home" がトレンドワードなのですから,あまりにも当たり前すぎる帰結ではありますが。月に 10本も Live に通っておいて,およそ信用されないかもしれませんが,もともと「巣ごもり傾向」の私のこと,今こそ,17年ぶりくらいにゲームでもやってみようか・・・とも考えましたが,ハマるのが怖くて,いまだ,アプリの 1本も買えず,手がつけられずにいます。いや,「どうぶつの森」とか,そっちのほうではなくて,A列車といった「ハコモノ」をやり始めたら,一生やっていそうで・・・考えてみれば,現地の Live がなければ,配信型の Live がありますし,そうでなくても,もはや,観ることをあきらめたといってもいいくらい,膨大なアーカイヴスと円盤があるではありませんか。いやそもそも,そこに至る以前に,毎日,公共放送を観ているだけでも飽きない・・・(;´Д`)
さて,「現地 Live がないんだったら,配信 Live を観ればいいじゃない」・・・という声もあろうかと思いますが,実際に観てみると,そう簡単に割り切れるものでもありません。配信 Live は,現地 Live の「下位互換」なのか? という見かたもありますが,私自身,実際に 20本弱の配信を観てみた限り,現時点では,率直にそのように思います。画質・音質・内容のクオリティにもよりますが。制約だらけの現場も厳しいですが,配信でしのぐ現状も,また厳しいものがありますし・・・かといって,Live の予定が重なっても,配信と現地,あるいは,配信同士であれば,配信にアーカイヴがある限り,どうにかなってしまうあたり,配信の魅力もあります。使いようによっては,来場した Live を配信アーカイヴで楽しむという,今までにない試みもできますし,もちろん,遠方で来場が叶わないという方にとっても然り。私としては,現地に行ける距離にありながら,券が取れずに来場が叶わず,同時配信に回るということほど,悔しい思いをする配信もありませんが・・・
現地と配信については,来年も引き続き,模索を続けることになるのでしょう。今までは,映画館での Live Viewing がメインで,自宅で手軽に観られる配信など,ごく限られたものでしかありませんでしたが,映画館でさえ足を運びにくい今日 (例の鬼滅は別格として),やってくるようでやってこなかった「配信元年」とも言える年だけに,コンテンツの質の向上は,まだまだこれからでしょう。少なくとも,「配信2年」「配信3年」を見据えているならば,これが頂点であっては困るのですが・・・
いずれにしても,演者も客も運営も,何らかの形で活動していかないと,原状復帰どころか,Live 文化そのものが消滅してしまう・・・そんな事態だけは,あってはならないと危惧しています。先ほど,さまざまな事情や思いがあって,現場に行けない,行きたくないのであれば,潔く行かないことも立派な決断だと申しましたが,何も,現場に通うことがすべてではありません。配信で支える,物販で支える,そうでなくても,推しの音を聴く,映像を観る,想いを馳せる・・・なんでもいいので,自分にできることをやることが大事でしょう。それこそ,文化維持のための「公助」の金を確保する活動に参加することもありですし,署名の一筆くらいならば,いくらでもできるでしょう。

一方で,わが身を振り返れば,今までよく,こんな生活を続けていたものだと,驚いたものです。「年齢相応の体力がある一般男性」であれば,どうということはないのかもしれませんが (・・・いやそれでも,そこそこハードだぞ),「体力年齢+50歳の一般老体男性」にとっては,とりわけ,2017年からの 3年間は異常でした。多いときで,月に 16本,年に 136本,3年で 349本・・・どうみても,この身体がついていくはずもなく,このままでは,確実に身体を壊すというより,すでに壊している始末ですし,予算の観点からも,強制的にでもやめさせないといけないと思ってたところに,このコロナ禍がやってきたという・・・偶然にしては,あまりにできすぎた展開です。
今年は,現地 Live に行けた本数が 37本 (昨年比・マイナス 99本!!) である一方,キャンセル本数が 50本 (しかも 1本は,ダブルブッキングによる自己都合・・・) に達しました。あろうことか,こんなときにダブルブッキングさせてしまう点も含めて,おそらく,空前絶後の不名誉な大記録を打ち立てることとなってしまいました。そして,この裏にも,開催の発表すらできなかった Live もあるでしょうし,それらを加味すれば,優に 70,80本の Live が潰れたことになるはずです・・・って?? あれ??? たしか,今年こそは,絶対に 3桁本数は行かないと固く誓ったはずなのに,仮に 80 も潰れたものがあったら,また,余裕で 100 くらい通いそうですね・・・やはり,よほどの強制力がないと,人は動かないものなのでしょうか。コロナショックくらいの外的要因がないと止められないという自制心のなさも,甚だ問題だとは思いますが・・・(;´Д`)
それにしても,4月,5月の緊急事態宣言が明けた後,第2波,第3波の真っ只中でも,厳しい制限こそあれ,わりと平然と Live をやれている光景を見ると,よくも悪くも,周囲に流されやすい国民性を実証しているような気がします。15名から 8,000名の会場まで観てきて,どの現場でも,みなさん,驚くほどに課された制約を守りますし,ここまで守られるのであれば (事後確率的な話ですが),休業要請という名の「休業命令」は,いったい何だったのかという・・・

今年は,まさに「正解のない世界」を生きる 1年でした。いや,もともと,この世界に「正解」なんてあるはずもないですが,小手先の知識や経験,正解がないからといって,ますます安易に流れがちな「消去法」といった戦略の行き詰まりを感じた 1年でもあり,物事には何かしらの正解があって,誰かが教えてくれる時代の終わりを感じさせるに十分な刺激がありました。今なお,コロナ対策に正解はありませんし (一定の方針くらいは出ていますが),実際に,これからの時代を生きる上で,何をなすべきか,何をなさざるべきか,それに伴う当事者の損失は,心身的・経済的にいかほどか・・・どれもこれも,容易に答えが出ない問題ばかりです。率直に申し上げて,ただでさえ,コロナ禍がなくとも,物事の変化が速く,万事格差が広がりすぎた世界の上に,この仕打ちは厳しすぎますが・・・私の願いは,常に,弱者が常に犠牲の先頭であってはならない,この 1点です。そのためには,何度でも申し上げますが,徹底的に「上と下の闘い」に帰着させる,これしかありません。この際,思想の左右など,どうでもいいのです。はっきり申し上げてしまえば,真の闘いは「0.1% の最上位層,0.9% の上位層,9% の一般層,そして,90% の底辺層」の階級間闘争です。紛うかたなき「90% 底辺層の代表」として申し上げますが,コロナ禍によって,埋めがたい階級社会が決定的に浮き彫りになった今だからこそ,この理不尽さを自覚し,怒りを込めて弾劾していかなければなりません。コロナをはじめとした疫病は,決して平等ではありません。万事格差という以上,そこには必ず「命の格差」も存在します。
2021年に延期されている東京オリンピックを,「人類がコロナに打ち勝った」シンボルとしたいようですが,2021年,コロナの動向に気を配ること以上に,格差と資本にきびしく対峙し,人類が「コロナと格差と資本主義に打ち勝った」と言える年になるか。オリンピックの成功よりも,はるかに困難が伴いますが,せめて,その試金石である年にはなってほしいものですが,そのためには,市民が立ち上がり,闘わなければ何も進みません。そんなに簡単に打ち勝てるはずもありませんが・・・「現状維持」と「消去法」は,もうやめようではありませんか。たとい,何年かかっても,打倒コロナ,打倒格差,打倒資本主義の高い目標を掲げて,暗雲立ち込める不穏な世界を邁進していきましょう。

―――12月が,思いのほか,現場の予定でいっぱいになってしまい,慌てて,やっつけ 2日で書いたご挨拶は,以上でございます。「いじょう」と打ったら「異常」と出てしまいましたが・・・なるほど,たしかに「異常な」ご挨拶なのでしょう。率直に,申し上げたき儀の 2,3割とて申せておりませんが・・・どうにも,時間配分を誤ってしまったようで。一方で,実家に帰ってなお,書き直すほどの気力などあるはずもなく。この続きは,来年ということにいたしましょう。「続き」がなくなることを願うばかりですが・・・どうやら来年も,厳しく,そして,面白い「続き」がみられる一年になりそうです。みなさま,コロナ感染にはお気をつけて。よかった方はそのままに,悪かった方も悪いなりに,何卒,よいお年をお迎えくださりますよう。




【追伸】
ときに 12月21日・18時ちょうど,この原稿のラフを書いているとき,COUNTDOWN JAPAN 20/21,ならびに,RADIO CRAZY 2020 の開催中止が,同時に発表されました (後者は,一応「2021年2月に延期」という体ですが・・・どうなりますことやら)。さらに,12月23日には,大規模イベントの人数制限・5,000人 (もしくは,キャパシティ 2分の1 のうち少ないほう) も,再び課されました。私も,フェス開催の報せを知ったときは,この音を止めてなるものかという運営の気概に,いたく感じ入ったものの,「Live ができる」ことと「Live を楽しめる」ことは同義ではないという基本に立ち返り,およそ,フェスの空間とは思えぬほどに課された制約を,総合的・俯瞰的な観点から判断して,全日程の参加見送りを,早々に決めていたところでした。昨年まで,6年連続・4日通しで幕張まで通い,あの場所が,どのような祝祭空間であるかを,それなりにでも感じ取れていた自負があるだけに・・・不参加の決裁をとること自体にも,相当な悩みがありました。そして,不参加を決めた以上,どのような会場ルポが挙がってくるのか,来年のためにも,全力で「オンライン取材」しようと決めていただけに,その機会さえ潰えてしまったことは,とても残念なことです。前者の声明に「開催しても感染は拡大させない,参加者の皆さんと共にフェスと音楽を守るぞ,という闘いを社会にアピールしたかった」とあり,私自身も,この闘いを見届けたかったものですが・・・それにしても「不参加で (オンライン取材で) 見届ける」というのも,ずいぶんと無責任な話でしょうか。つくづく,エンタメはしんがりで候・・・来年の開催が「原状復帰」できるかどうか以前に,そもそも,大型フェスがことごとく中止に追い込まれる現状に,とても,軽率に「よいお年を」などと申し上げている場合ではない,この先,組織として大丈夫なのだろうかという,一抹の不安さえ感じさせる悪い報せであります。
今年は,どうしたって,コロナ禍のことを中心にしたためるのは仕方がありませんし,今年の振り返りという意味で,いたずらに避けるべき話題でもないと思いました。しかし,コロナ禍の自殺が相次いだことだけは,最後まで触れませんでした。かくいう私も,何人か,好きだった人たちを (不本意な形で) 失いました。今はただ一言,どうか安らかに・・・

*1:職務柄,誰でも取れる「JDLA G検定」と「統計検定 2級」くらいは取りましたが・・・非常に不本意な成績ではありますが。

*2:ちなみに,これを書いている 2020年末の段階で,指定感染症・第5類に「格下げ」することは,個人的には反対の立場です。なぜならば,第5類にしては,死亡率が高すぎる上に,治癒後の予後にも,不明な部分が少なくないからです。80歳以上に限るとはいえ,優に死亡率 10% を超えてくる疾患を,事実上の野放しにしておくようではいけません。ましてや,老人だからいいだろうという,いかにも,レイシスト的な考えがあってはなりません。

*3:どうしても,公共の場ではマスク必須というのであれば,罰則付きで法律化する (特例免除者には「許可証」のひとつも持たせる) 以外にありませんが,医学的,法律的には正しくても,倫理的に正しいとは思えません。

*4:ただし,海外に目を向ければ,ニューヨークのブロードウェイ・ミュージカルなど,「2021年5月まで休演」という事態になっているところもあります。