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年末の御挨拶 (2012)

通行廃人A一緒廃人N7兼務現場廃人DD見習い首都圏近郊日帰り限定でございます。
年末の実感がまったくない中,年末の御挨拶を申し上げます。


年末の実感がない中を恐縮ですが,SNS (ほとんどが Twitter になっておりますが)のみなさまに於かれましては,たいへんお世話になりました。
さまざまな刺激を頂戴するとともに,貴重な知見,ご指摘,そして,毎日の殴打を賜りましたこと,厚く御礼申し上げます。m(__)m
まずは,長々と,自身の1年を振り返りたく存じます。


今年はとかく,自身の心身の管理に苦労した1年でありました。
病休という事態に至ることはありませんでしたが,1年・366日,毎日,どこかしらの調子に警報が出て,調子よく過ごせたという日が,1日もなかったように思えます。とりわけ,頭痛,めまい,胃腸障害に悩まされることが多くありました。
身内の入院もあり,「健康あっての日常」を痛感した,健康面では厳しい年になりました。
私自身,命にかかわる病気や障害をもって・・・ということではありませんが,かといって,「健常者」としての日常生活にも,少なからず影響を及ぼしています。
今年は,(以前からあったのかもしれませんが)片頭痛という,新たな厄介者も招き入れてしまい,来年の体調は,ますます難儀することも多いのではないかと,懸念がやみません。
その体調管理に,とにかく,場当たり的に薬を投与していたのですが,それが災いする結果となってしまったことも,多々あるように感じています。
私は,かねてより「なんでもいいから,健康であればよし」と思っておりましたが,それがいつしか,「なんでもいいから,病気でなければよし」と変わってしまっていたように思います。
先日受けた「薬物乱用頭痛」という診断は(まだ,10日も経っておりませんが),その象徴であったものと,きわめて重く受け止めなければなりません。
もちろん,必要な薬は投与しなければなりませんが,医師の指導を守り,不要不急の投与をやめる,当たり前のことを,今こそ見直すべきときにきています。そこから見直さなければならないような「管理」の甘さというのも,実に情けないものですが。


体調と連動するように,あらゆる場面におけるミスも目立ちました。
会社の業務に影響する,あるいは,自身の今後を左右するような,致命的なミスではないにしても,些細なミス,取るに足らないミス,絶対に間違えようがない(一択しかないような場面でも,勝手に,二択,三択にしてしまう)ところでのミス,枚挙に暇がない失態の数々でした。
人生は判断の連続ですが,自らの判断に,すっかり自信をなくしてしまっています。
どこで,こうなってしまったか。ミスはつきものにしても,毎日どこかしらで,「犯す必要のない」ミスを繰り返してしまうのか。
「過ちは正せばいい」という姿勢は,間違っていないと思うのですが,それが,「間違って当然」「正すことが前提」という,判断の甘さを助長するような姿勢にすり替わってしまっていたと,そう思えてならないのです。
「誰かに言ってもらわないと,直せない」,それ以前に「自ら検証し,誰かに言われなくても,自らで修正する」,その能力に,著しく欠けているのではないかと懸念しています。
よく,認知行動療法では,完璧主義はだめだ,認知の歪みを正すことが肝要であると言われますが,しかし逆に,間違いだらけの判断を,あまり放漫にしているのも,一種の認知の歪みのように思えます(ひどくなると,別の病名がつきますが,そこまでは至らないという前提で)。
「体調と連動するように」と申しましたが,これもまた,自身の「管理の甘さ」が引き起こしているものと思います。


では,心身ともに,どうしてこうなってしまったか。
繁忙,多忙,疲労,言い訳は,いくらでも作れそうですが,客観的にみて,どうでしょうか。
客観的に振り返れば,ごく一般程度の繁忙,多忙,疲労,「自分でそう思っている」だけではないでしょうか。
では結局,「自身の甘さ」でしょうか。そうなのでしょう。
ほんの少しの遠回りで回避できるリスクも,ほんの少しの「楽をしたい」ショートカットで,「楽をした」何倍ものツケを払うことになる,そんな思いを,幾度となくしてきました。
この「楽をしたい」人間の本質が厄介で,自分自身,すっかり溺れてしまっているものと痛感します。
人間である以上,「私は楽をしたくありません(キリッ」などと,本質を否定することはできませんが,楽に溺れることなく,もっと上手に「楽をしたい」と付き合いたいものです。
当面の課題は,自身の「人並みにとうてい及ばない」キャパシティ(主に体力・気力)の中,いかにして「人並みの繁忙,多忙,疲労」を乗り切り,人並みの生活を送れるか,ということにあると考えています・・・
いや,キャパシティを人並みにしない以上,どうしたって無理でしょう。すでに,課題の設定から矛盾しています。

  • 「人並みにとうてい及ばない」キャパシティの中,いかにして,「人並みにとうてい及ばない」現実を受け入れるか
  • 「人並みにとうてい及ばない」キャパシティを,いかにして,「人並みのキャパシティ」に高めていくか

この二択しかありません。この二択で,なおかつ「楽をしたい」とうまく付き合えるか,来年は,そんな最適解を求める1年になりましょう 。oO( そんな最適解を求めてるくらいなら,さっさとキャパ高めろよ,というお叱りもありましょうけども )

―――廃人ゆえに,自身の振り返りも長い上に,結論は「廃人甘えるな」の6文字で済むんじゃなかろうかという気もいたしますが,言い訳も廃クオリティでなければ,真の廃人とはいえません(キリッ
そもそも,年間最多記録を大きく更新する,72公演の Live に参加したことや,「私と一緒に」が大流行した Twitter のことに,一切触れぬまま至るという・・・(それ以上に,心身の反省のほうが大きいのです。何卒ご容赦ください)


―――さて,廃人の振り返りはさておき。
(少なくとも私より)真人間たるみなさまに於かれましては,どのような1年だったでしょうか。
年々,世相も厳しさを増す中,厳しさとうまく付き合える1年でしたでしょうか。
私が世相を振り返るに,今年は特に,保守・排外が目立つ1年だったように感じます。世の中の不安定さを象徴する現象でしょう。
しかし,少し立ち止まって考えてみると,他者を対立軸に立てて応酬することで,何かの解決や高め合いになるかといえば,はなはだ疑問で,結局は「誰かのせい」にしているということと大差ないのでは,とさえ思えてしまいます。
少なくとも,対立軸の方向が違っていて,自身だけでは及ばない支配的な層に,対立軸を向けるのが道理であるところ,自身が及びそうな,なんとなく勝てそうな,かといって,勝っても何も変わらないところにだけ,対立軸が向けられているように思えて,残念でなりません。
決して,「自分だけのせい」ではありません。自分だけではどうにもならないことも,多々ありましょう。
しかし,「誰かのせい」としている,その「誰か」が,往々にして,自分たちと同等 もしくは 弱い立場の人たちで,自分たちと同じ境遇にあるのではないか,そのことを常に念頭に置いて,「誰か」を誤らないようにしたいものです。
言うまでもなく,「誰か」というのは,ほとんどの場合,自分たちよりも(圧倒的に)強い立場の人にあるものです。


あわせて,対象を問わず,中傷が目立つ1年でもあったように思えます。
「気に入らないものは貶める」というのも,人間の本質なのかもしれませんし,往々にして,そのようなネタは,流行る・売れる(むしろ,「貶めて売れる」ことに,感謝を強要する風潮さえ感じ取れますが)のかもしれませんが,その裏には,常に「貶められたものと,それを好むものがいる」ことを忘れてはなりません。
以前,「dis から生まれるものはない」と申したことがありましたが,つくづく,その通りだと思います。判断に自身のない私でも,これだけは,自信を持って申し上げることができます。
幸いにして,私の周辺では(あくまで,私の狭窄した視野の範囲ですが),あまり「dis る人」というのをお見かけしませんし,むしろ,最大限の敬意をもって接する方もいらっしゃいます。ありがたいことです。
「建設的な批判」と「誹謗中傷」は,決して,紙一重の関係ではなくて,明確に区別されるべきものと思います。
明らかに,自身が被害を受けるなどしていれば,厳しく対立する必要があるものと考えますが,好き嫌いの程度問題,根拠のない事柄で貶める姿勢を,「批判」とは言えません。
私自身,このことを常に留意しつつ,いろいろなヒト・モノ・コトに触れていきたい所存であります。


( ;´・ω・`)ノ。oO( 書いていて,妙に硬い内容になってしまったと,2009年,2010年のを読み返して,ここに至る・・・)


そして今年は,推し事にも恵まれた1年でありました。
「72公演」というのは,現状の自身のキャパシティ(体力・気力・経済力)に比して,あまりに多すぎますので,さすがに改めなければなりませんが(といいつつ,もうすでに,4月までに20公演を予定しているのは ナイミツニナ)・・・「集中から分散へ」の傾向が,よりいっそう鮮明になってきた1年でした。
こうして,さまざまな人たちに触れられるのも,いつも素敵な記事 および 所感を提供くださる Billboard JAPAN のみなさま(注:接点はありません),Twitter のフォロー関係にあるみなさま,私にお誘いのお声がけをくださるみなさまの賜物です。ありがとうございます。
現状では,「1組・1年・1回限り」にしても,30以上ありますので,どうしたものかと悩んでしまいますが・・・自身のキャパシティと相談しつつ,行くべきは行く,見送るべきは見送る,メリハリのある推し事を続けられればと思います。
また,「私と一緒に」をはじめとした,NH系もおもしろい1年でした。
ごく一部しか存じ上げておりませんが,非常に奥深い,ともすれば「入山禁止」の感じさえある,マニアックな世界の一部を垣間見ることができ,楽しいタイムラインとなりました。殴打も頂戴いたしました。蹴りも頂戴いたしました。(###)Д`;;)


しかし一方で,なんでも中途半端な追っかけに終わっていることも事実です。
残念ながら,深く追いかける立ち位置になることは,まずないと思われますので,ご支持くださる方に於かれましては,何卒ご理解のうえ,ときにご教示,ご指導をいただければ幸いです。


―――廃人の御挨拶は,以上でございます。
みなさまどうか,よいお年をお迎えくださりますよう。