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(臨時掲載) 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)から 1年に寄せて

2012年3月11日
戦後最大の厄災から,1年が過ぎました。

日本国内では最大となる,マグニチュード 9.0 という,圧倒的な自然のエネルギーを前に,なすすべもなく引き裂かれた絆の数々,失われた幸せに,改めまして,衷心より 哀悼の意を表します。
みなさまに於かれましては,この 1年,どのような思いで過ごされたでしょうか。
不幸にして 被災された方,そうでない方,さまざまな思いがあろうかと存じますが・・・
ここで,僭越ながら,私なりの思いを。

(無駄に)長い上に,一切まとめておりません。あくまで,気が向いた方のみ・・・
そもそも,「区切りなどない」という方も,大勢いらっしゃいます。その通りだと思います。
我々が生きていく限り,14時46分 という時刻は,毎日 毎日 やってくるのです。


14時46分,私は 湘南新宿ライン高崎線直通 普通 籠原行き),新宿駅ホームに入線し,停車中の車内におりました。
本社での業務を済ませ,大宮の事業所に帰ろうとしていたところでした。
ホームや車内が大きく揺れ,ひさびさに大きな地震だと感じましたが,それが 震度5強 の揺れだと知ったのは,しばらく後のことです。
もちろん,大宮の事業所がどうなっていたかなど,知る由もなく,デスクの物々が散乱し,壁の本棚が倒れ,たいへん危険な状態であったということは,3月15日 に出勤してから知ったことです。
駅員からは,長時間の運休見込みという連呼。
この時点で,今日はもう帰れないだろうと思い,ただならぬ災害であると感じ取りました。

車内から駅を出て,まず,新宿の街頭ビジョンで目にした映像は,NHK の臨時ニュース,宮城県栗原市震度7 というものでした。
そして,日本のほぼ全域の沿岸部に,大津波警報津波警報津波注意報が発令されている映像。
その後しばらく,映像を見られる状況にありませんでしたので,津波が押し寄せる映像は,オンタイムでこそ見ていないのですが,当夜(臨時で)泊まった弟家にて,繰り返し流れる映像は,まさに,阿鼻叫喚の地獄絵図というほかありませんでした。

自宅に帰り着いたのは,翌・午後 3時40分。
その後 1週間,NHK 報道番組以外の映像を目にすることは,1度もありませんでした*1




私は,実家も含めて,地震の被害も,津波の被害も受けていませんので,その恐怖や痛みを語ることはできません*2
また,実際に被災された地域に,足を運んでいるわけでもありませんので,その実態を語ることもできません。

――― と言ってしまうと,もう,何も言う権利などないじゃないか,ということになるかもしれませんが・・・
しかしそれでも,被災県の出身,被災地の外に住まう者からみた,この 1年を振り返って思うところを,申し述べさせてください。




巨大地震が引き起こした,10数m クラスの巨大津波
非沿岸部に住む者として,想像を絶するというほかない高さです。
私は,報道のカメラを通じて見ることしかなかったのですが,実際,そこに居合わせた方々,目の前で 人や家が流され,まさに,津波によって引き裂かれた方々の恐怖と絶望は,察するに余るものがあります。
実際,人的被害の大半は,沿岸部の津波による被害で,どうしても,そこがクローズアップされがちですが,地震そのものが巨大であり,失われた家屋や人命は,もっと広範に及んでいるはずです*3

津波はもう,よくも悪くも,忘れることができないかもしれませんが・・・
それ以外の爪痕があることにも,目を向けていたい。
被災地に足も運ばず,なんだ,という批判は甘受しますが,そんな私ができる せめてものことは,やはり「震災を風化させない」ことだと思っています*4
自ら語ることはできませんが,他者より語られることに,率直に耳を傾ける,その心がけで臨むほかありません。




東京電力福島第1原子力発電所
震災のみならず,この,世界史に残る大事故があったがゆえに,福島県が,もっとも復興から取り残されてしまうことは,間違いない事実です。
なにしろ,復興計画どころか,今後 数十年単位で,立ち入ることさえ困難な区域ができてしまったのですから。
津波で引き裂かれた方々と同じように,原発事故で引き裂かれた方々の無念もまた,察するに余るものがあります。
しかし,その福島県に対する世間の目は,福島県民として,たいへん厳しいものがあるように感じてなりません。中には,「福島は終わった」「福島を日本から切り離せ」といった,過激なものも散見されます。
事故に対する同情の念よりも,いわゆる「原発マネー」とされる権益に対する敵視が強いことが,その根源にあるのでしょうけれども,恩恵を受けていたのは,立地帯のごく一部。
大半の県民は,そのようなマネーの恩恵もなく,いわれのない風評に苦しむばかりです。

しかし,あえて,福島県民として申し上げたい。
原発事故が起きてしまったことは,どうしたって 不幸なこと,だからといって,国内に 54基ある すべての原発廃炉にすることは,どうしたって 非現実的なことだと。
同じ原発でも,宮城県女川原発は,奇しくも「住民の避難所」にさえなったのです。
少なくとも,原発を「必要悪」としてとらえた上で,安全対策を万全にすることが先決で,無条件即時廃炉などという選択肢は,とりえないはずです*5
数十年の原発行政において,安全に対する過信や奢りがあった,さらには,日本のインフラ行政において,(地域独占に代表されるような)既得権益に対する奢りがあった,そのことこそ,最大の不幸だったのではないでしょうか。

私自身,この原発事故から,さまざまなことを教えられました。とりわけ,心理的な側面において。
奥村教授(三重大;@h_okumura)が,放射能に関しては「一般人のリテラシーの 限度を超えたかもしれない」と,Twitter で語ったことがありますが,本当にその通りだと思います*6
もちろん,災害心理の側面も考えなければなりませんので,誤った言動に対して,一概に「放射脳」などと決め付けてしまうことには,限界があるかと思います。
しかし,かつて経験したことのない事態に直面し,人間とは,かくもあっけなく暴走するものかと,しばしば,慄然とした気分にさせられます。特に,「子供が」を理由とした暴走には,今なお,枚挙に暇がありません。

原発を正しく恐れ,しかし,それから逃げずに向き合うこと,外圧や大声に屈することなく,真理を追求し続けること。
今まさに,情報リテラシーの何たるかが,一人ひとりに試されているものと感じています。




去年(2011年)の漢字は,「絆」という1文字になりました。
私は,残念ながら(漢字 というか 言語全般の)解釈能力に乏しいため,この真意を,深く汲み取ることができませんでした。
実際,今でもなぜ,この漢字になったのだろう? 本当に,この漢字でよかったのだろうか? と思っています。

少々,厳しいことを申し上げれば,被災した方と そうでない方,避難している方と そうでない方の間で,感情のもつれがあること,この1文字で,隠されてしまっていないでしょうか?
被災地のガレキひとつ,満足に受け入れられない状況で,日本の国家国民として,本当に「絆」を是とできるのでしょうか?
なんといっても,「放射能がうつる」,この一言が,子供から大人まで,ありとあらゆる場所で,平然と飛び交うような状況で,本当に,人と人との「絆」があるものと,胸を張って言えるのでしょうか?

「絆」は,とても美しい響きをもった,美しい言葉であるとは思います。
しかし,人間がもつ負の側面を,隠してしまうことになりはしないか? 現実から,逃げてしまうことになりはしないか?
冒頭,「引き裂かれた絆の数々・・・」と申しましたが,言語能力に乏しい私は,この 1文字に対して,ただ,そのことだけを懸念しております。杞憂であることを願いますが・・・




震災復興の名目で,国家公務員の給与を(7.8%以上)削減し*7,また,その他・増税の名目で,同公務員の採用数を(最大で 8割程度)抑制するという話があります。
震災云々にかかわらず,多くの方々にとって,拍手喝采な施策なのかもしれません。
しかし,少なくとも私は,そのようなことは望んでおりませんし,それをしたからといって,どうなるというのでしょう?
震災以降,まさしく不眠不休で,救助や復旧作業に従事している,最前線の現場の方々。その 現場のサポートに奔走する,地元行政の方々。そして,その 地元行政のサポートに奔走する,中央省庁の方々。
そこには,現行の行政システムの弊害がもたらす,数々の不整合なり,軋轢(あつれき)があることも事実なのでしょうが,戦後最大の災禍と,日々向き合う方々にとって,少なくとも「がんばっていない人」,「こっそり怠けて,いいところだけを もっていこうとしている人」など,まずいないと思うのです。

しかし,かたや,国会に目を向けてみると,どうでしょうか。
相も変わらず,彼らを そして 民衆を愚弄するような,茶番の繰り返しではありませんか。
私は,この 失われた数十年,現与党も野党も,どうしても,大衆に迎合し,自らが,大衆迎合の政治に翻弄されているように思えてなりません。

増税と震災,ましてや,失われた数十年なんて,関係ないじゃないかと仰せかもしれませんが,わが国が抱える問題の本質は,いつまでたっても変わらぬ「衆愚政治」,そしてなにより,衆愚政治を生み出す根源ともいうべき,「妬み僻みの国民性」にあると思っています*8
そして,震災を機に,その負のエネルギーが一気に噴出し,とめどもなく暴走を続けている,ある種の絶望感を,とても強くもっています。
そのようなとき,今でいえば,橋下徹大阪市長のような「ヒーロー視されるもの」が現れ,そして,「民衆が敵視する」あらゆるものを,見境なく破壊していく。
時の「小泉・竹中改革」がもたらした顛末が,当の「民衆破壊活動」以外の何物でもなかったことを,もう忘れてしまったのでしょうか。

そして,残念ながら,そのような暴走の一責は,マスコミにもあることは否めません。
マスコミがしっかりしないから,民衆が,ネットの世界に流れる。そして,混沌とした情報が飛び交い,負のエネルギーばかりが加速していく。それは事実だと思います。
負のスパイラルから抜け出すためにも,今こそ,マスコミとしての本分を取り戻し,正しい道へと導いていただきたい。その役割を果たしていただけるよう,切に願っています。




私は,この震災について,日本の国家国民に蔓延していた病理を,一気に噴出させることになった契機であると,そのようにとらえています。
震災の以前から,問題は山積み,不平不満は爆発寸前。お世辞にも,「美しい国」などと呼ぶには ほど遠い,ひどい体たらくでした。
それが,震災というトリガーによって爆発し,暴走を始めた。

そして,この暴走を止めることができるのは,私たち 一人ひとりに他なりません。
その,第一歩として・・・
他者の身を切らせることで,自らの溜飲を下げるということは,もうそろそろ,やめにしませんか?
他者を叩き,大声で騒ぎ立てることで,偽りの正義を振りかざし,自らを安心させることは,もうそろそろ,やめにしませんか?

私は,私たち 一人ひとりの心,すなわち,国民性が変わらない限り,日本の真の復興は,永久に成し遂げられないと思っています。
震災から 2年目,私たちは,どのように変わっていけばいいのか?
負のスパイラルから抜け出すため,苦しい模索を続けていく年になりましょう。


――― 簡単ではありません。しかし,不可能といったら それまでです。


平成24年 3月11日
phyocc (通行廃人Aについてユルく (@phyocc)


(乱筆・乱文・放言は「仕様」です,何卒ご容赦ください)




〜 追伸 〜

3月11日に生まれた,すべてのみなさまへ。お誕生日,おめでとうございます! ( ´ ▽ ` )ノ
どうか,何物にも臆することなく,生まれた日を 心から祝い,喜びを噛み締めてくださりますよう。




keyword:東北地方太平洋沖地震 (東日本大震災)

*1:NHK といえば,Twitter などのソーシャルメディアを通した 大車輪の活躍,ご存知の方も多いかもしれません。

*2:実家は 福島県・南会津地方,東京電力福島第1原子力発電所から,もっとも離れた内陸に位置しています。地震の被害や,原発の影響も皆無でした。

*3:たとえば,東日本大震災の翌日(3月12日)に発生した,長野県北部地震など

*4:もちろん,忘れたほうが幸せだ,というご意見もあります。私としては,せめて 100年先の未来予想図として,そうなっていることを願います。

*5:廃炉にしても,40〜50年程度,原発との付き合いは続くのです。その間の対策は? そうなれば いっそ,原発を建てる前に,時を戻すほかないのでは? それこそ非現実的では? と思うのです。

*6:もちろん,一般人の中にも,正しい情報を得て,正しい判断をし,正しい発信を試みる方もいらっしゃいます。しかし,それが,なかなか理解されないことの「限度を超えた」のかもしれません。

*7:国家公務員の給与が削減されれば,地方公務員の給与も削減されるというのは,(法律にない)「暗黙の常識」ということで・・・

*8:もちろん,少子高齢化に手が打てない「閉塞感」,「先進国病」が蔓延していることが前提ではありますけども。