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年末の御挨拶 (2013)

通行廃人A妖怪一緒廃人N7現場廃人DD永久見習いライセンス首都圏近郊日帰り限定財政他諸々規律崩壊付帯でございます。← 長すぎて,Twitter のユーザ名に書けない
大晦日どころか,クリスマスの前から,もうすでに \年なんて明けちまえ/ と,泉谷しげる御大 @ CDJ 08/09 が誇る迷言そのものの実感の中,年末の御挨拶を申し上げます。
例年通り,まずは,グズグズな私事を,グズグズに振り返り,ついでに,私が思うところを,思うように申し述べたいと思います。

毎年恒例,廃人が,言いたいことを適当に言うだけの,簡単なコーナーです。廃人の「廃レベル」ぶりが知れて,みなさまが安心されることを期待しています。


年始より,家の祖母を亡くし,年始の推し事から,大雪で頓挫し,さらには,13年ぶりに(本格的に)腰を痛めて・・・という,形だけをみれば,たいそうひどい幕開けとなりました。
しかし,考えてもみれば(後者 2つは置いておくとして),祖母も 89歳にもなるわけですし,人間にもいずれ,最期のときはやってくるわけですから,これを「悲惨」というには,いささか,疑問の念を感じていたりもします。
脳出血でした。それだけが悔やまれます。つくづく,最後まで健康で,天寿を全うできることの尊さを噛みしめる次第です。
一方で,家族に看病され,多くの人に惜しまれ,また,悲しまれつつ,この世を去ったということは,私からすれば,ある意味で,うらやましかったりもします。
今はまだ,祖父母の代ではありますが,これから,父母の代,そして我が身・・・ということになってくるのでしょう。
そのときに,こういうことができるか,してもらえるか,個人の資質と時代の流れに,一抹の不安を感じずにはいられません。

昨年と同様,自身の故障も,数多く発生しました。
先の腰痛コルセット事案から,(片)頭痛はおろか,今まで経験したことがない部位の痛み,さらには,人生初骨折*1まで,枚挙にいとまがないていたらくでありました。が,「故障が増える」それ自体は,年齢も年齢だけに,ある意味,当然とも言えるのかもしれません。
いわば「加齢と不摂生」という,一種の不文律のようなものに従っているわけでして。
しかし,若いときから,人並み以上に(心身ともに)故障が多かったのですが,近年になって,ますます増えている印象があります。
加えて,会社でも私生活でも,減るどころか,増え続ける一方のミスの多さ,頭の回転の悪さ(もちろん身体も),そして,人間関係の脆弱さに,個人の資質の問題とともに,「大人の発達障害」をも疑っているのですが,このあたりは,いまだにはっきりしません。今さら,そのように診断されたところで,途方に暮れてしまいそうですが・・・
日常生活にも,少なからず支障が出てきており,さすがに対策を・・・といっても,その対策を検討する段階に至る気力さえない,という重症ぶりです。
そんな自堕落な生きかたに,極度の体力不足も重なるものですから,人生の経験値など,せいぜい,同年代の 2,3割といったところではないでしょうか・・・という,人生の無駄遣い,生きる上でのもったいなさを感じつつ,今年もある意味で,無駄に年を重ねてしまいました。

・・・はい,あいかわらず,ひどくネガティヴなことしか思いつきませんな。
これだけをみれば,たいそう悪い 1年で,どうしようもない奴だ,としか言いようがないでしょう。
とはいえ,1年を振り返るにあたり,都合のよい事実だけを取り上げ,持ち上げるわけにもまいりませんで。
かといって,現状を改善すべく,自身の奮起を促そうにも,絶対に(現在の層から)這い上がれないことが明らかなこともまた事実,奮起する気力さえも削がれるという悪循環が続いています。

―――そう,この「気力を削がれる」という「症状」が,たいへん厄介です。

誰しも,「努力すれば,努力した分だけ報われる」というのが,努力するためのモチベーションになりましょう。
今でも,そうした信仰はたいへん強く,むしろ,努力と報酬と幸福度は,すべての人間が,同じ比例関係にあるべきだ,そうであらねばならない,と考える方が大勢います。
しかし,世の中,そんなにうまく摂理が回るはずもなく,むしろ,ほとんど「運*2」と「結果*3」に支配されているという「事実」を,年をとるごとに,イヤというほど思い知らされます*4

私は常々,それこそ,10年も前の学生時分より,否が応でも来たる(希望)格差社会を意識し,日々絶望していました。
そして,世の中はいよいよ,1% の勝ち組(支配層)と,9% くらいのモヤモヤ組(勝ち負けが中途半端なポジション)と,90% の負け組(被支配層)に分断される用意が整いつつあります。
平たく,お叱りを恐れずに申せば,少なくとも,これからの時代を生きる上で,90% に属する被支配層は あ き ら め て く だ さ い,ということなのですが・・・
誰に指摘されるまでもなく,明らかに,90% の(その中でも,かなり低めの)層に分類される私自身,最低限,今日を生きるために,努力しようではありませんか。という程度には努力しておかないと,この世の中で生きることさえままならなくなる,今まさに,そんな厳しい時代を,肌で感じています。
90% の層にとっては,努力なんて報われないんだ,何もかもあきらめよう,破れかぶれになろう・・・にも,それを実践してしまうと,生きることさえできなくなるのです。
もっとも,こんな時代は,歴史上,いくらでもありましょう。しかし,21世紀の成熟社会*5にあってなお,生きるためにさえ,相当の努力を要求される,そして,生きるための努力のハードルが,年を追うごとに高くなってきている,そんな厳しさを感じているのです。

それでは,どの程度まで努力して生きるか。生きるために要求される,最低限度の努力水準とは,どの程度なのか。
まずは,その線引きを決めて,そこから,どの程度の努力を上積みすれば,どの程度報われるか。そして,どの程度まで報われれば,満たされるのか。
要するに,努力の「ワリのよさ」,「コスパ」(コストパフォーマンス)の話になるわけですけれども,私のようなグズな廃者は,どうしても「コスパ」が悪くなってしまい,困りものです。
それでも,「コスパ」が比例の関係にあるのならば,まだやりやすいのですが・・・わずかな条件の違いで,「コスパ」が大きく変わってくるなど当たり前,そんな世の中でして。
なんとか,この「努力のコスパ」をよくできないものか,90% にどっぷりの層として,考えられることは,そのくらいでして。低層の廃人として,日々悶々としているところです。

このように申しますと,必ずと言っていいほど,「御託はいいから,黙って努力しとけや」という話になるのですが,残念ながら,そのような「盲目根性万歳論」で片付く問題ではないのです。
少なくとも,純粋な努力だけで,90% から 1% にはなれません。せいぜい,9% の「モヤモヤ層」くらいではないですか。
「超えられない壁」を超えるためには,努力の他に,運や才能も「必要条件」なのです。
本来なれば,「すべての人間が,等しく,努力の要素のみに比例して報われる世界」が,理想的なのでしょう。
21世紀以降,時代が激変しても,なお根強い「機会の平等,結果の不平等」論を,努力によってのみ正当化するためには,それ以外のすべてが平等であるという「条件」が,必要不可欠であるものと考えています*6
しかし人類が,そんな世界に到達できる日はくるのでしょうか・・・

さて,実はこの 9% の「モヤモヤ層」というのが,実は,たいへんに居心地が悪いのではないでしょうか。
1% になるには,超えられない壁がある,しかし一方で,90% に転落する恐怖と隣り合わせ,ある意味で,生きた心地がしないところだと思います。
かつては,この「モヤモヤ層」が,もっと大勢いたように思います。それが,この 10年くらいで,あっという間に転落した。
かつての「モヤモヤ」は,もっと,幸せな居心地だったのではないかと思います。それが今では,モヤモヤでさえ(相対的に)アッパーな層になりつつあるのです。
それを肌で感じているからこそ,モヤモヤな恐怖を感じる。恐ろしいことです。

―――と,ここまでグズグズ書いてみても,現状の解決策は,はっきり言って,何も提示できません。
私ごときが提示できるくらいであれば,世の中,とっくに「革命」が起こっていることでしょう。
ただひたすらに,自分の「立ち位置」をよくわきまえて,自分なりに,心地よく生きるための努力を,チマチマと続けるのみ。
あえて申せば,完全なる他力本願ながら,その裏で,こっそり,革命派にでも期待をかけていることくらいでしょうか。
いつの日か,「機会の平等,結果の不平等」が,誰にとっても,完全に納得できる世界が訪れるといいですね()

―――はい,グズグズ話はおしまいです。あとはひたすら,グズグズな回顧と,推し事の話を。←
このような者でも,裁判員制度で「補充裁判員」を務めたりもしました(出頭記録)。
合法的に会社休めて,日当までもらえて,裁判所だぜ \ヒャッハー/ とか,その程度の者でも務められるという,ある意味で,貴重な経験をしました*7
とはいえ,大きなイレギュラー的イベントは,この 1つくらいで,あとは,年に 3度の帰省。
このような廃者に,あたらしい家族を設ける資質などあるはずもなく,できるだけ,今の家族(親兄弟に親戚とか)を大事にしようという思いが,年を追うごとに強くなっているような気がします。
年始,大型連休,お盆,この 3大時期だけは,よほどのことがない限り,予定を入れないよう心がけるようにしたいと思っています(年末年始の「年末」は別で ←)。

そして,推し事という名の Live,Live という名の推し事・・・あれ??
と,ともかく,去年の 72本は,絶対に超えないだろう・・・いや,超えてはならない,絶対やめてね(迫真)と言っていたわりには・・・
平年であれば,閑散期であるはずの年初(1月,2月)から,腰を痛めつつも,あれよあれよと数を重ね,11月4日に骨折しようと,禁じ手の「跳び禁」で,以降の参観戦予定を完走,平日の休みだって,偉い人の考課も何もかも投げ打って,何がなんでも取っては馳せ参じるなど,気づけば,過去最多の 80本,今日のカウントダウンライヴ (CDL) で 81本目です。はっきり言って,数も(平日の)休みもめちゃくちゃ,およそ,一般会社員が足を運ぶ本数ではないと思います。
先ほどのグズグズ話で言えば,「自分の立ち位置なりに,生きること+推し事のために努力する」と言っても,過言ではありません。もちろん,そこにも「努力のコスパ」は考慮されていますけれども*8

(´-`).。oO( さっきまで,あんなドイヒーなこと書いてたくせに,すっげーリア充じゃねーかよ,コノヤロー・・・ヽ(#゚Д゚)ノ┌┛(ノ´Д`)ノ などと思うかもしれませんが・・・その裏では,いつも,ああいうことを考えているのさ・・・ )

Live 参観戦歴も,今年の 9月18日をもって 10年目(32歳にしては短い),本数でいえば 460 を数えますが,そんな今でも,常々心がけていることがあります。

  1. いつだって「素人目線」であれ。プロ(っぽい)目線は,時として,現場をつまらなく思わせてしまうから。
  2. 演者に礼を。スタッフにも,客にも拍手を。
  3. (ステージまでの)遠近よりも空気感。Live のよしあしなんて,遠近くらいで決まらないから。

これさえ心がけていれば,客として「失敗」することは,ほとんどないのではないかと思っています*9
もっと言えば,この私が,この先,仮に何100本と数を重ねたところで,いわば「プロの観客」になんてなれないですし,なる必要さえもないと思っています。もともと,1% の「プロの観客になれる資質」もないのかもしれませんしね。←
プロになることで,つまらない面が出てくるんだったら,素人でいて,楽しいほうがいい。「仕事」じゃないんだ,「推し事」なんだし。
このスタンスは,今後も・・・いや,スタンスというか,「信念」として通していこうと思っています。

今年も,多くの刺激を受けました。ありがとう,本当にありがとう。
はっきり言って,誰のステージが何番で・・・という「序列」を,もはや,つけがたいところまできてしまっているのですが(という逃げ道),小規模の箱から,大規模なスタジアムまで,その現場なりのステージ,空気感,どれも,現場なりのよさがあって,今年も,1本として無駄なものはなかったというのが,(私の数少ない)誇れるところです。
もっとも,落としたなと思うもの(後悔)は,年初のチャットモンチー*10をはじめ,枚挙に暇がありませんが・・・( ;´・ω・`)ノ
解散・休止という,残念なお知らせにも(いい意味でも,悪い意味でも)慣れてきて・・・つくづく,音の世界は水物,後悔先に立たずという「事実」を思い知らされます。

―――といったところで,来たる 2014年,仕事も,推し事も,私生活も,自分の立ち位置と,努力の「コスパ」を考えて,将来にあまり絶望せず,自分なりの希望をもっていけたらと・・・前向きとも,後ろ向きともつかない,モヤモヤした気分で締めくくりたいと思います。
(特に中程など)例年にも増して,ひどくストレートな文面にて,申し訳ございませんが,「言いたいことを,言いたいように言う」コーナーの趣旨は,まず変わることはないと思われますので・・・何卒,痛い目でお見届けくださるなり,そのまま(会えそうで会えないままに)「さよなら」してくだされば幸いです。

―――廃人の御挨拶は,以上でございます。
みなさまどうか,よいお年をお迎えくださりますよう。


「私と一緒に,来年も廃になりましょう!!!!!」
#大晦日だよ破れかぶれな廃ぼっとアポストロフィ13右矢印アポストロフィ14
#アンダースコアを除く記号はハッシュタグに使用できません

*1:骨折といっても,右足の中指を,わずかに剥離骨折した程度なのですが,正直なところ,「その程度でも」こんなに不自由を強いられるとは思いませんでした・・・( ;´・ω・`)ノ

*2:才能,財力,生活環境などなど・・・に恵まれるか否か,「努力できることさえも才能である」という説も,根強くあります。

*3:原因や過程はどうでもよい,国策,金融,とりわけ マネーゲームなど,いい例でしょう。

*4:このあたりの事実は,為末選手も,鋭く指摘しています。一流アスリートの指摘という点で,重要です。|為末大さん @ daijapan の「【努力で成功できるか】について ごく稀に起こる出来事が大きく報じられたりして、まるで頻繁に起きるような印象を与えてしまっているように思います」/ Togetter

*5:「成熟」といえば,なんとなく,聞こえがよさそうなものですが,一方で「よくて現状維持,転落するだけの社会」ともとれます。むしろ,こちらの意味で問題です。

*6:たとえば,1 の努力で 1 の成果を上げる人と,1 の努力で 2 の成果を上げる人を比較すれば,それはもはや,結果の不平等を,努力によってのみ正当化するための条件が平等である,とはいえません。

*7:本当に \ヒャッハー/ と発するなど,あまりひどいと,クビになります。クビにならない程度の振る舞いは・・・ #お察しください

*8:体力と経済力を考慮しての「遠征禁止」「日帰り限定」など,そのいい例です。

*9:「失敗」というのは,わざわざ,大枚はたいて券取って,時間まで割いて行ったというのに,嫌な思い(だけ)を残して帰ってくる・・・という意味です。いわゆる「タダ券」「コネ枠」だったり,券の 1枚 2枚(どうってことない)といえるほどの経済力があれば,まだいいのかもしれませんけれども・・・その・・・私にはその余裕が・・・( ;´・ω・`)ノ

*10:今年の 1本目から,大雪で頓挫。その後の,えっちゃんさんの産休を思えば,新幹線を投入してでも,行っておくべきでした・・・