phyocc a.k.a. みりん36 (@phyocc) - Information

年末の御挨拶 (2017)

誰 が 不 審 者 で す か ___
無修正だったら,とっくに出したでしょ,おじいちゃん___

ええ,高々 2秒くらい,聖地のカメラに映っただけで・・・それはもう (ごく一部の Twitter の民だけを) 大騒ぎにさせてしまった,36歳・男性でございます。

今年もまた,12月31日に投稿する内容を,12月16日,夜も 10時を過ぎたころから,ダラダラと書き始めております。翌・17日も,そして,翌週・クリスマスイヴを迎えた夜になっても,まだ,書いておりますが・・・こんなに前から書いている事情については,「例年通り」「いつものパティーン」であります*1
年に 1回,「年末の御挨拶」と称して,私が適当に,書きたいことを書き放題の乱文も,数えること 10回.毎回,書き始めるまでが「しんどい・だるい・ねむい」,12月になると,どうしてこうなった,折に触れて,考えごとのメモひとつしておかぬのかと,気が重くなりつつ書いておりますが・・・そんなら,やめりゃあええやん,とわかっていながら,いつまでたっても,惰性で書き続けてしまう。これが,廃人の辛いところよ。

いつものテンプレ:賢明な読者のみなさまに於かれましては,大晦日の多忙の折,ただちに,ここでお読みになるのをおやめくださいますよう,お願い申し上げます。今年は特に,無駄に長い文章になっております。今年も 1年,ありがとうございました。何卒,よいお年をお迎えくださりますよう。


―――それでは,例年通り,この,ろくでもない 1年を振り返るとともに,ろくでもない私なりに,率直に思うところを,心置きなく申し述べます。毎年のように,表現が厳しいところもありますが,何卒ご容赦ください。
この 1年も,だいたい,「しんどい・だるい・ねむい」に終始した感じもありますが・・・年々,それが加速度的に強まっているようで,日々の生活にも,だいぶ事欠くようになってきています。36歳5ヶ月,率直に,このままいくと,とても,40歳まで生きていられるとも思えません。弊社の産業医,ならびに,長年の主治医からも,たとい,プライヴェートを犠牲にしてでも,とにかく,睡眠を確保するよう,きびしく指導されておりますが・・・これについては,その通りとしか言いようがなく,事実,生活そのものへの障害として,顕著に現れてきています。象徴的な障害として,10年前と比較して,些細なミスから大きなミスまで,その数が「1桁程度」多くなった,そんな実感があります。
・・・いや,もともと,ミスそのものは多いですし,もしかしたら,10年前の 2,3倍くらいかもしれないですけれども・・・ADHD に代表される (ミスが目立つ) 発達障害に,不眠が重なると,生活への影響が,何倍にも増幅される。そして,不幸なことに,これらは併科されることが多い。本来なれば,前者をきちんと治療する (それ以前に,確定的な診断を得る) ことが本筋でありましょうが,対症療法的であっても,不眠をどうにかしないことには,心身ともにもたない。今年,NHK スペシャルでも取り上げられ,目下話題の「睡眠負債」など,私にとって,もはや「返済不能」状態,まさに,国の借金並みの膨張ぶりです。せめて,これ以上,睡眠負債を積み上げぬよう,「睡眠のプライマリーバランス」だけでも保ちたいところでありますが・・・実効睡眠時間が 5時間程度では,まったくの論外*2,近いうちに,心身ともども破綻することは明らかです。
・・・と,もっぱら「発達障害と不眠の併科」が辛いという話をしたいだけで,せめて,力づくでも睡眠だけでも・・・と言いたいわけでありますが,ややもすると,「加齢が『急速に』進んでいる」という,別の見方もできるかもしれません。しかし,30代にしては,悪い方向への変化が急速すぎるような気もします。いずれにせよ,年中体調不良云々は・・・もう,あまり触れないようにします。ただ,不眠と過労が原因にあることは,疑いの余地もありません。不眠と過労には個人差がありますが,そこは,人間としての「キャパシティ」に個人差があり,私自身のキャパシティを,もう,はるかに超えてしまっているということで・・・
ちなみに,発達障害には,よい一面もあるとされてはいるものの,私をはじめとした大多数の人々にとっては,生きる上で,マイナスの面しかないものと考えます。発達障害に限らず,どうしても,ごく例外的なケースを引き合いに出して,いかにも,救いがあるような話題が醸成されがちですが,「障害」と呼ばれているだけの苦労を,そんなに楽観視しないほうがいいと,私は断言します。むしろ,中途半端な楽観視は,障害そのものを覆い隠すことにつながり,いわゆる「定型者」との間に,決定的な分断を生じてしまう懸念さえもっています。

さて,私が折に触れて,「キャパシティ」という言葉を使っては,なんにもできない&やらない言い訳にしていますけれども・・・「キャパシティってなんだ?」という声にお答えしようと思います。もちろん,誰ひとりとして聞かれておりませんけれども。それも,まったく科学的でない,もっぱら感覚的なもので恐縮ですが・・・ズバリ,

キャパシティ=能力×バイタリティ×メンタリティ

  1. 能力:1単位の仕事を,1単位の労力をかけてできること
  2. バイタリティ:1単位の仕事を,1単位の体力をかけてできること
  3. メンタリティ:1単位の仕事を,1単位の仕事量だけやろうとする精神力

いずれのパラメータも,高ければ,より多くの仕事をこなすことができる一方,低ければ,より少ない仕事しかこなすことができません。

だいたい,こんな感じで表される指標と定義しています。ごく一般的な人の能力,バイタリティ,メンタリティが,全部 1 であれば,キャパシティ=1 になりますね・・・って,「ごく一般的な人」って定義はなんだ・・・まあ,そこは適当に。2年前,2015年の御挨拶で紹介した 「Liebig の最小律と Dobeneck の桶」(Wikipedia) と,どちらが,感覚的に合うでしょうか。
それで,私の場合,仮に,全部が 2分の1 くらいだとしても,キャパシティは,せいぜい,一般人の 8分の1 にしかなりません。バイタリティに至っては,10分の1 くらいしかありませんので,実に,40分の1 にしかなりません*3。さらに,一般人と比較した場合ですので,当然,2倍,3倍の能力,バイタリティ,メンタリティをもった,いわば「勝ち組にみえる」人々と比較すると・・・もはや,計算すらしたくなくなるような,文字通り「ケタ違いの」差が開いていることになります。あまりにきびしい現実ではありますが・・・しかし,これが,社会の最底辺を生きる私にとって,どうしたって直視しなければならない,厳然たる現実であります。
このような指標を,勝手に持ち出してまで比較したがる,「比較することから,不幸がはじまる」という言もありますが,いくらなんでも,社会の最底辺で,これだけの圧倒的な差が開いてしまった世界に長くいると,私の外の世界,もっと言えば,私が持たざる世界,あらゆるものが,よく見えてしまうものです。「比較の呪い」から逃れるためには,それこそ,1人で完全に引きこもるしかなくなってしまいます。事実,知力・体力・精神力のすべてを兼ね備えることが,この世を謳歌するための「必要条件」(決して「十分条件」ではない) となっているではありませんか。そして,言うまでもないことだとは思いますが,キャパシティさえあれば,自ずと,財力もついてくるでしょう。最初から,大資産家のもとに生まれてくることでもない限り,キャパシティのない人に,銭が回ってくる世の中であるとは,とても思えません。
12月14日の「クローズアップ現代+」にて,「アラフォー・クライシス」というテーマが取り上げられていましたが,36歳となった今,あの映像を観るにつけ,つくづく「人生,運がすべて」だと痛感しました。実況当時の Twitter でこそ,一応「9割」とは書いたのですが・・・正直に言います,あれは嘘です。間違いなく「運が 10割」です。まずは運ありき,努力はそれからだ,これが現実です*4。36年も生きてくると,まったく不本意なことに,知らなくていい,知りたくもないことまで知ってしまうものです。

さて,人類も「自然の摂理」に従ってか,同じ人類にあって,「力持てる者」と「力持たざる者」の差は広がる一方ですが,一方では,ある一時期においてのみ格差が縮まり,その後,ひたすら広がっていくという説もあるようで。どこまで本当かはわかりませんが,もしかしたら,我々は「格差があまりなかった,ある意味で幸運な一時期のみ」を,たまたま,生きていただけなのかもしれません。もちろん,自然の摂理といって終わらせることは,誰しもができましょうが・・・あまり,人類の能力を過信しないまでも,少なくとも,自然の摂理に抗う姿勢くらいはみせてほしいものです。なにしろ,自然の摂理,自然のピラミッドに従えば「下層部が多いほうが安定する」,つまり,圧倒的に「底辺層」が多くなるのが当然なのですから!
この現実があってなお,私は,はるか昔から,本気で怒っています。なぜ,「弱い者たちが夕暮れ,さらに弱い者を叩く」(THE BLUE HEARTS “TRAIN-TRAIN”/ You Tube より) のをやめられないのかと。もう,ピラミッドを壊すことなど,あきらめているのかと。本当になすべきは,まったくの逆で,「弱い者たちが夕暮れ,さらに強い者を叩く」ことで,こうした方針転換ができない限り,永久に,ピラミッドを壊すことなどできないではありませんか。富者と貧者,資本と労働,人種差別・・・ピラミッドの例など,枚挙に暇がありませんが,本質的には,弱い者たちは,常に,強い者たちと戦わなければならない宿命を背負っているもので,徹底的に戦うことでしか,自らの力を勝ち取ることはできない。戦うたびに,血が流れるか否かの違いはありましょうが*5,人類有史以来の宿命は,21世紀に入った今とて,何も変わることはないと,私は,そう確信しています*6
・・・という私,本来,まったく好戦的ではありませんし,できることなら,一生,楽してダラダラ過ごしたいと,本気で,そう考えているような人間です。しかし,そんなことができるはずもありませんし,理不尽な世の中とは,徹底的に戦います。事実,「一生,楽してダラダラ〜」このくだり自体,自分自身以外はどうでもいいという,自分以外の人々にとっては,理不尽そのもので,そのような妄言がやめられない自分自身とも,徹底的に戦ってはいるのですが・・・作家の 浅生 鴨 (ex. NHK 広報局 / @NHK_PR 1号) 氏に曰く,「不謹慎ならあやまります。でも不寛容とは戦います」。もう,6年9ヶ月も前の言ではありますが,私は今でも,完全に同意しますし,その後の発言の数々も,まるで,私の分身をみているかのような感じさえします。と,このような不届者に「分身」などと言われた浅生氏は,嫌がるかもしれませんけれども・・・ #あそぶかね を 2回ほど送金しておりますゆえ,何卒ご容赦を。
しかし一方で,この理不尽な世界に諦観することなく,あくまで戦おうとする勢力が,少しずつではあるものの,確実に現れてきている。これは,まことに心強いことだと思います。格差然り,種々のハラスメント然り,いかなる理由があれ,「理不尽なことを,率直に,理不尽だと声を上げる,声を上げ続ける」ことは,実に重要なことだと思います。SNS の存在が,ここまで広まってきた今,大車輪の活躍を果たしていることに疑いの余地はありませんが,それだけが万能薬であるとは思いませんし,事実,さまざまな負の側面もあります。しかし,少なくとも,既成のマスコミや,ややもすれば,一国の政策さえ変えようとするところまできている。それこそ,10年前では考えられなかった大転換期にきていると思います。と,そこまで言っておきながら,当の私は,あくまで「暇つぶしのためのオモチャ」以上のものとして使うつもりはありませんけれども・・・

次に,これも「格差」の広がりからでしょうか,世の中,何かと「上から目線」が目立つようになっってきたものと感じます。先に申し述べた「弱い者たちが夕暮れ〜」というよりは,夕暮れる弱い者たちから,頭ひとつ抜けた人々の間で,特に目立つような気がしてなりません。さしずめ,「高学歴・高収入・高ステータス」,ちょっとした「上流階級」といったところでしょうか。どちらかと言うと,雲の上の人々でない「ちょっとハイレベルな」人々とはいえ,格差の下方圧力が強まる今,格差の上辺にいる人の存在が,相対的にみて,余計に目立つようになってきたこともあると思います。
人間とて,優越感を持つことも宿命,その気持ちはわかりますし,私のような「万事最底辺」の者に対してなど,それこそ,上から目線で物事も言いやすいとは思いますが・・・恐れながら申し上げますと,「最底辺の世界」をご存じないのではないでしょうか*7。世の中,みなさんのように,知力・体力・気力兼備,「キャパシティの高い人々」ばかりではないのです。「キャパシティ高き上流の方々」に於かれましては,何卒,その恵まれたキャパシティを活用して,ハイレベルな世界の中だけで物事を語るのではなく,幅広い視野をもってくださることを,切に希望します。
以上は,一般的な「上から目線」でしたが,専門分野になると,さらに深刻です。「○○ができない」「○○を誤っている」「○○がわからない」*8というだけで,ただちに「ゴミ・クズ・クソ・死ね」などなど,ヘイトスピーチ同然に罵倒されることなど,それこそ,ザラに見受けられます。率直に言って,私の (ごく偏狭な) 周囲だけをみても,かなりの数が見受けられますし,見ていて,決して気分のいいものではありません。と書いて,俺にも,私にも,心あたりがあるかも・・・と思ってしまった方には,余計な心配をかけるようで申し訳ありませんが,ほぼ,当てはまらないと考えます。このような行為は,「心あたりがない」人々の間でなされるのが,世の常ですので。
これは,「できない」「誤る」という事実,それ自体は正しいという点で,余計に厄介な問題でもあります。要するに「表現の問題」というだけなんですが・・・それが難しい。正しい知識をもつこと,誤りを指摘できること,誤りを指摘されたほうは,謙虚に受け止め正すこと,どれも大事なことではありますが,いかなる世界においても,「『正義』は『無礼の免罪符』とならない*9ことだけは,私自身も,ゆめゆめ心得て,「表現の知」を高めていかなければなりません。インターネットの世界と,リアルの世界では,人への接しかたも違うだろうよ,という方もいるでしょうが,そのようなことを言い訳にしていては,いつまでたっても「表現の知」が高まるとは思えませんし,安易に,そのように考えてしまうことは,ある一面においては,言葉の暴力を正当化してもよいことにつながりかねず,むしろ,危険な傾向にさえあるものと考えます。それでも,どうしても,義憤にかられて,誰かを罵倒しなければ気が済まないというのであれば,ちょうど,今夜,新年へのカウントダウンが行われる,渋谷のスクランブル交差点あたりに連れ出して,その場で,拡声器で罵倒してやる,そのくらいの覚悟をもっていただきたいものです。

さて,ここからは,いつものように,Live の話に移りましょう・・・って,まだ続くの???

今年は,このあと参ります COUNTDOWN JAPAN / 4日目を含めて,97本もの Live に通うことになりそうです。 #本業はなんだっけ
参観戦の年数を重ねるにつれ,「数多くのミュージシャンに,少しずつ通う」という流れが進んでおり,ある意味で,当然のことではあるのですが,ここ 2,3年は,若干,昔の傾向に戻って「特定のミュージシャンに,数多く通う」ようになってきている感じもあります。もっとも,「数多くのミュージシャンに,少しずつ通う」部分も,あまり変わっていませんので,必然的に,通う数も膨大になり・・・キャパシティ・・・
象徴的なのが,今年の「きゃりたん」(きゃりーぱみゅぱみゅ),ワンマンだけで,実に 8本.これは,2008年の「大塚 愛」(8本) 以来,9年ぶりの「観測史上最多 (タイ記録)」となる,記録的な多さです。そもそも「首都圏近郊・日帰り限定」の制限つきで,これだけ多くのワンマン Live をやってくれて,かつ,券の確保に,それほどの困難を伴わずに通うことができる*10ミュージシャンも,そう多くないでしょうし,そんな中,千葉県は市原*11を除く,すべての首都圏公演に足を運べたことは,私自身にとっても,ひさびさの達成感とともに,きわめて有意義な推し事であったと思います。あまつさえ,2017年4月19日には,夢か幻か,聖地・NHKホールで「最前列 かつ ド・センター」という経験までさせていただきましたしね。そのときのピクチャーチケットは,もはや,わが家の「家宝」のひとつにさえなっています。しかし,かたや,Tour だけで 53本もやってくれた SCANDAL にあっては,行きたい気持ちはもちろんあれど,肝心の券がまったく取れず,通年で,1本を押さえるのがやっと*12。小箱がメインで,券の確保自体が難しい公演が多く,また,小箱でオーバーキャパシティという,私にとって,著しく困難を伴う環境でもあるだけに,仕方のないことかもしれませんけれども・・・どちらも「推し」であることに変わりはありませんし,少なくとも,Zepp 級のライヴハウスくらいは押さえる努力を怠らないなどして,もう少し,バランスをとって通うことができればと思います。
その前に,そもそも「97本」という数は,平年を大幅に上回る,明らかに異常な数であることを,ゆめゆめ心得,いたく反省しなければなりません。平年並みか,平年より少ない月もありましたが,月間の観測史上最高 (タイ記録を含む) を,年間・12回中,5回も記録しています。2015年に「109本」行った実績もあるし,とりあえず,100本までいってなければいいや・・・というレベルの話ではありません。なによりも,「5日連続 & 9日で 7本」(今まさに CDJ ですら,4日連続なのに!) という超過密地帯もあれば,その直後から,4連休を含めて,10日も空く日が出てきたり*13と,いまだかつて,経験したことのないような「バランスの悪さ」こそ大問題です。楽しいことは,できるだけ分散させるようにと,何度も,心に留め置いているにもかかわらず・・・もったいない,実にもったいない。私が心得としている「Live は,週末に 1本,ときどきは,平日で年休を消化しつつ,週に 1日は,ちゃんと休む。これで,だいたい平年並み (70本前後)」・・・これが,まったくもって,大ハズレの結果となってしまいました。
もっとも,私の都合で,Live の予定を決めるわけにもまいりませんで,Live を演る側から「この日,この場所で演るから,よろしくね」と言われてしまえば,業務はもちろんのこと,ときには,実家に帰省する日まで調整の上,券の確保に奔走している現実が・・・ここ数年の私,だいたい,Live に通うか,実家に帰るかの生活になっていて,いったい,私は「何ファーストの会」に属しているんだろうかという日々が続いておりますが・・・私の他にも,同じ苦労を抱える,数十から,ときには,数万の人たちがいる。Live に多く通う者にとって,「日程調整」と,「ダブったときの取捨選択」は,まさに「永遠のテーマ」でありましょう。私のような「数だけは,やたらと多くみえるド素人」ですらそうなんですから,どんな「プロの観客」でも・・・否,「プロの観客」だからこそ,後者の「ダブリの呪い」からは,逃れられないに違いありません。

今年も,私自身のキャパシティと,日程のダブリから,相当な数を見送ってしまいましたが・・・なんといっても,「安室奈美恵・2018年・電撃引退宣言劇」を悔いぬわけにはまいりますまい。あまつさえ,その 2ヶ月後には,チャットモンチーの「完結」(解散) 宣言まで飛び出しましたが・・・前者と後者で決定的に違うのは「悔いが残るか否か」,これに尽きます。チャットに関しては,正直,高橋久美子 (クミコン) がドラムを張った,ある種の,バンドとしての黄金時代から,クミコン脱退の二人羽織,数々の奇跡を見せてくれた (第一の) 音楽研究時代,6人の大所帯で,バンドとしての王道を取り戻した時代,再び二人羽織に戻り,第二の音楽研究の楽しさを示してくれた時代,すべて,この目で直接見て,体感してきています。それゆえか,2018年7月に解散することがわかっていても,不思議と,悔いがないものです。もちろん,最後にもう一度,許されるのであれば,その勇姿,しかと見届けさせていただきたい所存であります。いざとなれば,すでに取ってしまった券を捨てる (譲るなり,差し上げるなりする) 覚悟もできておりますゆえ。
しかし,かたや,安室ちゃんはというと (そもそも「安室ちゃん」などと,軽々に申していいものやら)・・・私が Live デビューする以前から大活躍であったことは言うに及ばず,過年のアリーナ,近年のホールに至るまで,まったくもって,足を運んだことがなく。そればかりか,千載一遇の大チャンスでもあった,5年前,20周年・5大ドームツアーですら,足を運ばずじまいでした。この事実,一点をもってしても,私には,もはや,何も申し上げる資格などございますまい*14。ただひとつ,厚顔無恥なことこの上なしを百も承知で,もし仮に許されるのならば・・・最後に 1本,私が,これまで行ってきた所業に対する「罪滅ぼし」として,リアルな安室ちゃんを体感したい。私自身,そのような所業,往年のファンのみなさんの心情をもってしても,とうてい,許されるはずがなかろうと思っていましたし,事実,最初から,券など取れるはずもあるまいと,あきらめてもいたのですが・・・Live の神様は慈悲深く,斯様な愚昧に対してさえ「来たる 2018年5月2日・水曜日,東京ドームに出頭されたし」・・・と,救いの手を差し伸べてくださいました*15。今後は,この恩に報いるべく,引退のその日まで・・・否,引退の日を過ぎてなお,安室学に精進する覚悟であります。2018年,実に「25年遅れ,最初で最後の安室デビュー」が待ち受けます。間違いなく,2018年・最大級の重要公演となりましょう。改めて,ご報告と御礼,そして今なお,1枚たりとも券を手にすることができずにいらっしゃる,数万,数十万の安室ファンのみなさんに対する懺悔の念を,この場をお借りして,申し述べさせてください。

今年は,非常に多くの Live に足を運んだのみならず,ミュージカルやら,試写会にまで足を運ばせていただく機会にも恵まれ,相当に充実した「現場 この一年」でありました。時に,2017年1月の「わたしは真悟」,当時・35歳にもなって,劇場でミュージカルを観ること自体,まったくはじめての経験ではありましたが・・・800余回も足を運んでいる「音楽 Live」とは違った意味で,演者の息づかいや緊張感を感じることができる,実にいい経験をさせていただきました。もっとも「させていただく」という表現が目立つのは・・・正直に言います,どれも,連れて行っていただいたもので・・・2017年5月に観たミュージカル “Little Voice” に至っては,2度目にして最前となってしまい,どどどどどどどどどどどうしようという,観るほうが緊張するという事態に・・・
普段,ある特定分野の推し事にのみ肩入れしていると,どうしても,新鮮味を失いがちで,毎年のように,否,公演のたびに反省している始末でさえありますけれども,こうした,趣を異にする現場にも足を運ぶことで,それ自身の新鮮味はもとより,普段「音楽 Live」で観ている光景とは,また違った魅力を発見できて,「音楽 Live」においても,また,新鮮味を感じられるようになる。視野を広くもつことが,「体験の鮮度」を保つ秘訣であることは,頭ではわかってはいるものの,実際,足を運んでみることで,より確かなものになる。いい教訓となりました。舞台については,2018年以降も,折に触れてお邪魔させて・・・否,自ら (勝手に) お邪魔することも含めて,引き続き,大事にしてまいりたい所存であります。

ところで,毎年のように書いている「現場 この与太話」でありますが,ここでひとつ,お知らせがあります。
突然の話になり,恐縮ですが・・・2018年の Live から,運用を改定します。2009年以来,およそ,10年ぶりの改定です。
こちらに,私の blog があるのですが,2004年以来,私が参観戦した Live の Set List を,もっぱら,私のメモ書きのためだけに書き続ける blog であって,それ以外の存在価値は,一切ないものでありましたが・・・いや,これからも,存在価値は一切ないことに変わりはありませんけれども,何が変わるかといえば・・・

終演後,ほとんどの場合において投稿している Set List に加えて,ごくごく,簡単な所感を添えるようにします。その代わり,所感そのものを,Twitter に投稿することはなくなります。

そ れ だ け

振り返れば,2006年あたりまでは,Live に通うたび,何某かの所感を書いていたような気も,しないでもなかったのですが・・・就職してからというもの,業務繁忙,ならびに,心身のキャパシティがついていかず,完全に頓挫しておりました。その後,2009年あたりから,mixi あたりで,ちょくちょくと書き始め,書く舞台を Twitter に移してからも,Set List の投稿通知に載せる形で,30〜50文字程度の,国語の試験で書こうものなら,ただちに【×】となるような一文を記す程度で,終わりにしていたのですが・・・さすがに,それで終わらせるには,いささか物足りない。かといって,これほど,無駄に中身のない長文を書いてしまう私のこと,ダラダラ書かせようものなら,140文字で 10投稿程度は,すぐにいってしまうのもので・・・連鎖投稿で,タイムラインを邪魔することも気がかりではあったのですが,実は,それ以上にしんどいのが,多くの場合「『ネタバレ禁止』で書かなければならない」点にありました*16
blog では,否,それ以前に「Set List 共有サイト」に投稿した時点で,完全にネタバレさせてしまっているというのに,Twitter では,それができない。ネタバレさせずに,魅力を伝えるのが醍醐味,という (プロの観客としての) 声もありましょうが・・・私としては,率直に,無駄に気を遣って面倒だなあと思っていました。だいたい,私ごとき,プロの観客でもなければ,プロの物書きでもありませんし,ましてや,秘密保持契約とともに飯を食っている人でもありませんし,そこまでする必要など,まったくないと思っています*17。どうせ書くなら,のびのびと,「見る自由」と「見ない自由」の両方を残すという意味で,このような (ある意味で当然の) 決断をするに至りました。
このことを,実際に意識しはじめたのは,2017年11月くらいでしたけれども・・・言うほど,たいしたことをするわけでもありませんし,年が変わって,しれっとやり始めればいいかな・・・くらいに考えていました。おそらく,2018年1月5日が,新しい運用の「初日」となりましょうが・・・くれぐれも,何らの期待もなさりませぬよう。そもそも,好きなことにすら飽きっぽい上に,音楽文として,読むに耐えるだけの (音楽的) 素養も知識も身につかず,身につける気力すらない私のこと,書ける内容など,たかが知れておりましょう。ADHD ゆえの集中困難も伴い,公演の内容も,ろくすっぽ覚えていないことも日常茶飯事ですし。そのうえ,気分屋で回帰性も低い私のこと,必ずしも書く日ばかりとは限らず,書かない日もあるかもしれませんけれども・・・ただ一点,これだけは申し上げておきたい。

書いた所感が,どのような内容であれ,たとい,所感を書かない日があったとしても,私が足を運んだ,あらゆる Live において,何かしら,足を運ぶだけの価値や,得るものはある。何も得るものがない,何の価値もない Live など,ただの 1本たりともない

これだけは,私が Live 通いを続ける信念として,生涯,持ち続けたいと考えています。この信念を失った瞬間,私の現場人生は,ただちに終了します。どうか,ご理解いただければ幸いです。
・・・まあ,きょうび,Set List を投稿するだけの個人 blog など,とっくに終わりを迎えていると言って過言ではないでしょうし,実際,私自ら,率先して,共有サイトに投稿しているくらいですしね*18。なお,私は,アフェリエイトは一切行っていませんので,このまま,blog のアクセスが 0 になっても,まったく困りません*19。運用方針は,これまでと少しだけ変わりますけれども,あくまで「私自身,この世に生きた証を残すためだけの blog」であることに変わりはありませんので,今後とも,「見る自由」も「見ない自由」も,ご自身の意思にて行使いただければ幸いです。

それと,これは特に,ひとりで参観戦するみなさんにお勧めしたい・・・いや,「常にひとり」みたいな奴に,お勧めされたかねえよという声もあるでしょうから,単に,私の勝手な心がけとして,紹介だけしておきます。Live の感想など,ひとりで行くと行かざるとにかかわらず,よく,インターネットに求めがちになりますけれども・・・ちょっと待って,現場に足を運ぶ機会があったわけですし,ここはぜひ,終演直後の「お客さんの生の声」に耳を傾けるようにしています。いや,わざわざ「インタビュアーになる」とか,そういうわけではないんですけれども。とりわけ,はじめて足を運んだお客さんの声は,初心を取り戻す・・・そもそも「永遠の初心者」を座右とする私にとって,非常に貴重なものだと感じています。
少し,Live という空気感に慣れてくると,どうしたって,公演のいいところよりも,悪いところが目立ちがちになって,自ら,その時間・空間の価値を落としてしまう,残念なことだってあるものです。実際,インターネットでも,いいところよりも,悪いところのほうが,話の広まりが早いですし,ことによれば,悪いところばかり挙げてくる人さえいるくらいですしね。しかし,私自身,それなりの数,現場に足を運び,「現場の生の声」を聞いている限り,「楽しかった」「○○がよかった」「迫力がすごい」・・・などなど,プラスの声のほうが,圧倒的に多いんですよね。いや,具体的な内容なんて,どうでもいいんですよ。終演直後の第一声から,ステージの仔細やうんちくを細々と語る・・・ことも,決して悪いことだとは思いませんし,博識聡明でなによりだとも思いますが,「楽しかった」の一言,これが自然で,かつ,至上の所感じゃありませんか。少なくとも,はじめて足を運んだと思われる人たちから,開口一番「なんだこれ!もう行かんわ!」などという言葉は,聞いたことがないのです。私のことですから,聞き逃しがあるとしても,当人にとって,何らかの事件・事故があったことが主因くらいなものだと思われます。私の見識が狭いだけかもしれませんし,たまたま,足を運ぶ公演に恵まれているだけかもしれませんけれども・・・公演自身を楽しみ,終演後のお客さんの声で,また,気分よく帰ることができれば,「永遠の初心者」でいることに,これ以上の価値はないでしょうし,わざわざ「プロの観客」を目指すこともありますまいて。
・・・と,このようなことを心がけている私もまた,「永遠の初心者」たる「ただの観客」であるというところが,また面白いところだと感じています。今後とも,公演直後に,せっせと Set List を書くふりをしつつ,同じ客同士,みなさんの率直な生の声にも,耳を傾け続けたいと思っています。あ,もちろん,所感を共に語り合える人が (公演の有無にかかわらず) いるということは,素晴らしいことです。ただ,あいにく,私には,そういった人が (ほとんど) いないもので・・・「ひとりで行かない」方の中には,奇特な習慣に感じる方もいるかもしれませんが,少なくとも,私がもつ所感としては,よっぽどのことがない限り,はじめてのみなさんと,だいたい同じですし,はじめての所感こそ,もっとも率直,かつ,至上であるものと確信しています*20

―――以上,ただでさえ無駄な挨拶なのに,今年は,各論まで無駄に多くなり,とうとう,10,000字どころか,15,000字まで突破してしまったようです。脚注も無駄に多いし・・・まったく,なげかわしいですな。来年は・・・そうですね,400字原稿・1枚くらいで,さっさと終わりにしたいと思います。毎年,書いた本人すら読まない始末やし (真顔

今年の御挨拶は,以上でございます。
みなさま,どうか,よいお年をお迎えくださりますよう。

平成二十九年 十二月三十一日
院古糸屯ピンナカムラ太郎となかまたち さいたま総局 不審者撲滅推進委員長
糸屯ピン三六無修正太郎
※ 当局の弾圧により,写真の掲載については,ただちに粛清されました。何卒ご容赦くださりますよう,お願い申し上げます。

*1:例年,12月22日あたりから,ドカドカドカドカと,Live という名の「魔物」がやってまいりまして・・・とはいえ,今年の 12月は 10本.12月の本数としては「平年並み」ではあるのですが・・・16・17日,23・24日と,2週連続で,土日がフリーになること自体は,異例中の異例で,ただでさえ遅筆なところ,ついつい甘えが・・・

*2:もちろん,必要な睡眠時間には個人差がありますが,私は,実効睡眠時間で 8時間が最低ライン,寝付きや中途覚醒を考慮すれば,優に,9時間以上は必要です。この時点で,もうすでに,非現実的なレベル・・・

*3:仮に,目いっぱい高く見積もったとして,能力とメンタリティが 1 だとみたところで,キャパシティは 10分の1.高々 1割しか活動できない・・・もはや,まったくの「論外」と言っていいでしょう。

*4:それでもなお,「努力がすべて」という説を支持するのであれば,「努力以外のすべての条件」(キャパシティ,ほか,あらゆる要素) を,完全に合わせた上で評価しなければなりません。評価の「イロハのイ」のようなものですね。

*5:血が流れる現実も,今でも,たくさん残っていることも,また忘れてはなりませんけれども。

*6:ややもすれば,強い者に「取り入る」ことも考えられましょうが,それとて,しょせん「弱い者たちが,強い者と戦うための一策に過ぎない」ものと考えます。

*7:おおむね,「上位 1% − 準上位 9% − その他 90%」の 90% の世界のことで,90% が最底辺です。90% もの人々を,「最底辺」とまで言っていいものか,出稿時に迷いもありましたが・・・やはり,厳しく理不尽な格差と戦うためには,そのくらいの危機感をもつべきだと,信念をもって出稿させていただきました。

*8:ここでの「○○」は,ある意味で,必ず知っておかなければならない,ごく基本的な事項ということもあれば,そこまで知っておかなければ,その世界で生きていけないレベルの事項かな・・・と思えるものまでありますが,言うほうは,たいてい「ハイレベルな」人々なものですから,ことごとく「○○など常識,できて当然,誤りなど論外」というようにとらえられています。

*9:Twitter : https://twitter.com/stb_nissie/status/938192087157108736 より

*10:これは,非常にハードルが高い場合が多いです。少なくとも,私が通う Live の範囲において,たいていの場合「数を打っても券が取れない」,「券は取れても数が打てない」のどちらかになります。

*11:埼玉の大都会・西大宮から,千葉の大都会・市原まで,優に 100km・・・もはや「遠征」レベルにて,長いこと,頓挫が続いておりますが・・・

*12:Tour はもとより,大阪は遠すぎ,東京のベスクリも,安定の落選・・・

*13:いや・・・本当は「空かない」んですよ。単に「券が取れない」だけd #反省してねえだろうよ

*14:行ける立地と環境,そして,少なくとも,20周年のドーム Tour では,券も取れるチャンスがあったというのに,単に「サボって行かなかった」という意味で。さまざまな事情で「行きたくても行けない」みなさんとは,天と地ほどに,物申すための「資格」のレベルが異なります。

*15:これは「完全に自力」です,念のため・・・というより,「関係者枠」はおろか「取材陣枠」さえ厳しい状態で,こればかりは,誠「救いの手を差し伸べてくださり」と申し上げるほかなく・・・

*16:デーモン小暮閣下の諸法度も,話題になりましたね。まったくもって,その通りとしか言いようがありませんが・・・だからこそ,「見る自由」と「見ない自由」を両立させるための方策を,私も日々,模索しているのです。

*17:まあ,そうは言っても,「音楽文 powered by rockinon.com」に載せられる程度の文才,せめて,その程度の訓練ができればいいなあ・・・と思ってはいますよ。しかし,当然のごとく,文才を含む「キャパシティの問題」でやれな(ry

*18:なにしろ,Live Fans に Set List を投稿しすぎたあげく,「Live Fans ポイント」が余りまくって困っているくらいで・・・いっそ「Tポイント」にでも換えられればいいのですが,ポイントで交換したい品物がないから,また困r(ry

*19:もっとも,アクセスが皆無になると,広告が大量についてきたり,はてなダイアリーから締め出される日がくるかもしれませんが・・・

*20:このような所感が,「小並感=小学生並みの感想」などと揶揄されることもしばしばですが,それ自体,私は悪いことであるとは思いません。むしろ「小並」などと難癖をつけ,些少な悪い点を突くような所感より,よっぽどよくできた,心から「楽しむことを心得た」人だなと感心してしまいますし,かくいう私も,いつまでも,そのような「小並感」でありたいと思っているくらいです。